誤審・潔く認めるということ

 

こさいたろうの視点・論点 0060

2018/08/10

 

誤審・潔く認めるということ

 

先日、久方ぶりに夏の甲子園大会をテレビ観戦しました。旭川大高校と佐久長聖高校の一戦。手に汗握る好ゲームでした。

 

私の両親の出身地である北海道の代表校がどうしても気になります。今でこそ実力差はなくなってきていますが、昔はかなり弱くて、応援していても負けることばかりでした。しかし、最近はなかなかの好ゲームをすることが多く、彼らのプレーが楽しみです。

 

結果は、5対4のサヨナラゲーム。導入後初の延長13回からのタイブレーク勝負となり、佐久長聖高校がチャンスをものにしました。もちろん、佐久長聖のナインも全力プレー、両校の健闘を称える気持ちはありますが、実は8回表にある事件(僕はそう思っています)が起きていました。

 

旭川大が3-2とリードして迎えた8回表、佐久長聖の攻撃。二死走者なしから2番打者が左翼への浅い飛球を打ち上げました。左翼手は懸命に前進、ダイビングキャッチ。華麗なるファインプレーでした。僕も「よし!」と思わずテレビの前で叫びましたが…。テレビの画面には一塁に打者走者が立っている映像が映し出されていまではないですか。判定は捕球を認めず安打になったというアナウンサーの説明が聞こえてきました。

 

その後、数回スロービデオが流されましたが、どうみてもダイレクトキャッチの超ファインプレーにしか見えません。一緒に見ていた息子も「捕ってるよ~」と。でも、微妙な判定のプレーはNHKはVTRを繰り返さないのは昔から。ネットで確認してみると、捕球シーンの動画が無数に上がっていました。僕だけの勘違いではないことを確信しました。

 

試合後の、旭川大高校監督の談話。「審判がヒットと言えばヒットです」。当該の左翼手は、「自分の中ではつかんだと思ったんですが…」と述べた後、「その後ミスしたことには変わりない。自分のミスで負けてしまって申し訳ない」と話していました。潔さに感服しました。

 

でも、彼らの潔さはそれとして、ダイレクト捕球シーンがテレビで捉えられている中で、判定を下した審判や高野連は何の対応もしないのでしょうか。

 

 

 

2018年8月6日 21時27分 東スポWebの記事より。『試合後、高野連の竹中事務局長は「審判には完全捕球に見えなかったということ。(苦情や抗議の)電話は数件かかってきたとは聞いている。リプレー検証は今後も全く考えてないです」と話した。』

 

僕は、ダメだと思います。高校生の野球だからと、抗議してはいけない決まりだからと、今回のような判定を不問に付していいはずがないと思うのです。

 

確かに審判も人間です。ミスもあると思います。そして、審判の判定を最終的には受け入れねばならないのだとも思います。そうしなければ、勝負が成り立ちませんから。でも、映像を確認し、ミスがあったのならばそれを謝し、さらなる審判技術の向上につなげるべきです。いかにアマチュアの高校野球であっても、選手たちは勝利を目指して日夜厳しい練習を重ねてきているわけです。一つのプレーで流れが大きく変わるのと同じように、一つの判定ミスで流れが大きく変わってしまうこともあります。今回はまさにそれでした。責任は重大だと思います。

 

高校生に対してだからこそ、大人はミスがあれば潔く認めねばなりません。誤りがあっても、権威や権力をかさに着て誤りを認めない、世間の声にも耳を貸さず、自らに誤りなしと開き直る。これは、教育的観点からも間違えていると思います。私たちは、そんな社会を志向しているでしょうか。そんなはずはありません。

 

試合に出たいなら相手選手にけがを負わせろといったアメフトの監督、判定を捻じ曲げろといったボクシングの会長。ことが明るみに出た後も、そんなことは言っていないという開き直った嘘のコメント。問題の根幹は通底しているように感じます。

 

高校野球、夏の甲子園大会は今回で100回目とのこと。公共放送がほぼ全試合を生中継する。一部の私立高校は名前を売り優秀な生徒を集めるために選手を全国から集める。高校生の全力プレーが感動を呼びますが、その感動をいわば利用するかのような大人の利権が絡みすぎてきてしまっているのではないでしょうか。こんな高校スポーツは他にありません。

 

私の住む山梨県でもベストフォーに残る高校で地元選手のレギュラーメンバーは一握りしか見当たりません。こんなことを言うのもなんですが、佐久長聖高校の多くのメンバーは関西出身でした。

 

そんな問題に加え、今や「命にかかわる危険な暑さ」と形容詞がつく昨今の日本の夏。この時期の日中、炎天下で高校生にプレーさせてもよいのか、という議論も高まっています。

 

今回の「誤審」も一つのきっかけとして、高校野球のあり方を再考すべき時が来ていると感じます。さらには、スポーツ競技にかかわる組織・団体の閉鎖性、独善性にもメスを入れるべき時期にあるのだと強く思います。そして、それは日本社会体のありよう、目指すべき針路にも深くかかわる議論であるべきとも思います。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

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