お金がかかるIT社会

 

こさいたろうの視点・論点 0130

2020/02/17

 

お金がかかるIT社会

 

実は、先日パソコンがクラッシュしました。電源が入らなくなったのです。すでに8年ほど使っているもので、昨年後半から怪しい動きを見せていたので、データのバックアップとともに、入れ替えも検討しなければと思ってはいました。

 

思っていながらも行動に移せなかった理由、それはお金でした。個人事業主でも、さまざまな場面で使わねばならないパソコン。効率的な作業をしつつ、より長く使えるものをと考えると、ある程度のお金を出して一定のスペックのあるものを購入する必要があります。購入資金をどう捻出するか、悩んでいるうちに、その日はやってきてしまいました。

 

なお、ハードディスクは何とか生き残っていて、簡単にコピーできる機械と新しいハードディスクを購入して、ひとまず事なきを得ました。不幸中の幸いでした。今後は自動でバックアップが取れるよう設定するつもりです。

 

今回の件、一般常識的には自己責任。そのようなリスクも考えて事業をしなければならないのは重々承知しているつもりです。ただ、今や、パソコンなどのIT機器がなければ仕事ができず、それらの導入にはお金がかかります。しかも、耐用年数は長くて6-7年、ソフトなどはサブスクリプションの世界、使い続ける限り支払いが発生する形式です。

 

ITを使って稼げる人にとっては問題ないのかもしれませんが、経営基盤が脆弱な零細経営者や個人事業主には、なかなか厳しい問題になります。

 

また、個人の話になりますが、中学生になった息子にもパソコンを買ってやるべきかと考えていた時期でもありました。結論的には、あと5年程度、高校卒業まで使えそうなスペックのパソコンを買うことにしましたが、まとまった出費となりました。さらに、うちは自宅内で使うものしか与えてませんが、中高生にはスマホも必須となってきており、かかるお金が積み重なっていきます。そろえるのは自己責任です。お金がなければ、与えることはできません。

 

今や、スマホもパソコンも、生きていくに不可欠なIT機器、社会的インフラと言っても過言ではありません。この30年の間に急速に普及したのです。つまり、30年以上前、僕が中高生になるまでは生きるためにかからなかったお金と言えます。

 

これから先、この社会はどうあるべきなのでしょうか。誰にも頼まれてはいませんが、勝手に思い悩んでいます。よく言われるように、貧富の差によって、生きるためのさまざまな格差が生じていってしまうような実感があります。特に、生まれ育つところを選べない子どもたちにその影響は大です。最低限の下支えができる社会、目指すべきのように思います。

 

来週、新しいパソコンが届く予定です。価格や性能を検討し、国内メーカーのマウスコンピュータから購入することにしました。これまで以上に大切に使おうと思っています。そして、ある程度の年数で更新できるような事業が展開できるよう、頑張らねばと思っています。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

     

今、野党に必要なこと

 

こさいたろうの視点・論点 0129

2020/02/16

 

今、野党に必要なこと

 

「意味のない質問だよ」。辻元議員の質疑終了直後、安倍首相が言い放った言葉です。いわゆるヤジ。中継中のラジオからもはっきりと聞こえました。責められるのが我慢できないんですよね。

 

その後、すったもんだの上再開した委員会で、「私に言わせれば質問ではなく、罵詈雑言の連続だった。私に反論の機会は与えられずに。こんなやりとりでは無意味じゃないかと申し上げた」と安倍首相。僕は悪くないと。

 

子どもかよ、と。権力者はどんな批判も受け止め、自らの戒めとし、政の糧とすべきではないのか。このような人をトップに据えている日本社会は大丈夫なのか。暗澹たる気分にさせられました。

 

その後、質疑に立った逢坂議員は、「本当に安倍内閣、デタラメだと思いますよ。行政私物化紛いのことはいっぱい発生するし、そしてそのことを指摘すれば公文書を廃棄するし隠蔽するし改ざんするし捏造するし、国会で質問すればまともに答弁しない。ご飯論法だ。逃げて歩く。そして閣僚に至っては本当に閣僚の資質があるのかどうか…わからない人はぐだぐだぐだぐだ答弁して。終わってるじゃないですか」と。

 

僕は、認識を共有します。でも、野党は今のままでよいのでしょうか。全国中継入りの予算委員会を使って桜を見る会の疑惑を細かい部分まで追及し、その関連で口下手な北村大臣をつるし上げ。高級官僚のラブラブ出張疑惑、法務省関連の不適切と疑われる人事などの追及。追及も野党の役割には違いないが、結局は追い込むことができず、時間ばかりが過ぎていくという悪循環。答えない、隠す、捨てる、取り繕う、逃げる、安倍首相はじめ政府側に非の多くがあるとは思うが、このままでは政府与党の思うつぼではないでしょうか。

 

国民の目線で言えば、このままの追及型の国会運営を続け、仮にいくつかの失点をつけることができたとしても、野党の評価は上がらないと思うのです。つまり、追及するだけでは、自民党の代わりに政権を任せていいという存在にはなりえないと思うのです。しないよりはしてもらった方がいいけど、政権は任せられない昔の社会党ですね、わかりやすく言えば。

 

もう国民も、いろいろおかしなことが積み重なっていることはわかってきた。いわゆる、長期政権の弊害も露呈しつつある。問題は、じゃあ、現政権の後に担わせてもいいなという政治家や政党、政治勢力があるのかということ。

 

国民に向けて、目指すべき国家像をわかりやすく示し、それを実現するための具体的政策を体系的に示す。今こそ必要な作業は、これしかないと僕は思うのです。政権を担う準備が整っているぞ、という姿が見たいのです。

 

民主党の政権交代が失敗だったので、具体的な数値の入ったマニフェストはもはや示されなくなってしまいました。税収が堅調な今こそ実行すべき行政改革も語られなくなってしまいました。

 

受け皿さえ作れば、政権交代可能という多くの野党議員の発想。多くの国民は、それは危険だと直感していると思います。何をするか、だれがするか、それができる体制か、極めて具体的に示すことから始めなければ、世の中は変えられない。僕はそう感じています。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

     

徳勝龍の初優勝と政治の行く末

 

こさいたろうの視点・論点 0128

2020/02/15

 

徳勝龍の初優勝と政治の行く末

 

大相撲初場所。幕内最高優勝はなんと、伏兵の幕尻・徳勝龍関でした。おそらく日本中、誰一人として予想だにしない驚きの結果でした。

 

まあまあの相撲ウオッチャーを自任する僕ですが、しこ名以外はほとんど知らないお相撲さんでした。

 

それもそのはず、最高位は5年前の前頭4枚目。その後は実に先場所まで、幕内と十両を行ったり来たりのいわゆるエレベータ力士だったのですから。

 

それが、今場所は大化けしました。押し込まれても強烈な突き落としで白星を重ね、優勝を決めた貴景勝戦は、左四つ右上手の堂々たる相撲でした。

 

テレビ解説でおなじみの北の富士さんは「真価を問われるのは来場所ですね」と話していました。勝負の世界、その通りなのだと思います。

 

もしかすると、初場所の相撲は偶然であって、大阪場所では元に戻ってしまう可能性もあるのかもしれません。

 

僕は、遅まきながら開眼した徳勝龍、初場所に勝る素晴らしい相撲を取ってほしいと大いに期待していますが。

 

さて、なぜ「徳勝龍の初優勝と政治の行く末」というタイトルにしたのか。僕は、政治の世界においても「政界の徳勝龍現れよ!」と思っているからです。

 

徳勝龍関、日々地道にけいこを重ねていたのだと思います。だからこそ、これまでは芽が出なかったものの、何かのきっかけで開花できたはずです。

 

政治の世界にも、そんな人材が登場しておかしくないはずです。特に政治の世界には、どんな分野から人材が登場してもおかしくありません。

 

むしろ、永田町に何期もどっぷりハマっているとか、霞が関のしきたりに精通とか、代々の政治一家とか、そんな人じゃない方が変革の力があるはず。

 

大相撲は実力の世界。この一年で、栃ノ心、高安が大関陥落。豪栄道は引退。白鵬、鶴竜も休場ばかりで、昔の日本人横綱なら潔く引退の成績。間近でしょう。

 

一方、政治は自らが出処進退を決める世界。いいかえれば、政治家は、高い倫理観や責任感を求められる立場にあるということ。

 

古くは、政権交代の失敗の責任の取り方が不十分な旧民主党幹部。昨今では、公選法違反や政治資金規正法違反、贈収賄をも疑われる自民党の政治家、説明を尽くすという責任すら果たしません。このままでいいわけがありません。

 

日本社会には、政治を担うべき無名の人材が必ずいるはずです。当選を続けるために政党幹部に媚を売る人はもう不要です。政界にこそ、徳勝龍のような人材が現れるべき、そう思います。

 

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

     

さようなら、野村監督

こさいたろうの視点・論点 0127

2020/02/14

さようなら、野村監督

僕は野村克也監督に、一度もお会いしたことはありません。でも、僕の人生において、いつもそばにいて、励ましてくれたり示唆を与えてくれたりしていた気がするのです。

僕は今から40年以上も前、ヤクルトスワローズのファンになりました。振り返ると、いくつかの理由が思い当たります。

まず、父が強烈なアンチ巨人だったこと。二つ目に神宮球場の近くに住み、初優勝は目の当たりにしたこと。三つ目は、父が「太郎君よく勉強せよ」という若松勉選手のサイン色紙をもらってきてくれたこと。

それと、当時年会費1,500円の子ども向けのファンクラブに入りたくて、お手伝いで小銭を貯め、神宮球場正面の窓口に行ったとき、なんと数円足りず。でも、窓口の大人の方は、入会の手続きをしてくれました。そして、入会記念でガラガラのくじを回し、これまたなんとサイン入りバットが当たったのです。記憶がだいぶ薄れていますが、そんなこともあり、ヤクルトにハマっていきました。ちなみに、当時は、巨人戦以外は子どもファンクラブ会員は外野出入り自由。今は、夜に小学生が出歩くのはまずいのかもしれませんが、あの頃はそれほどうるさくなかったのか、ちょくちょく球場に足を運んでいたのでした。

しかし、広岡監督の下での劇的な初優勝の後、わがヤクルトスワローズは暗黒時代に突入したのです。武上、土橋、関根の各氏が監督を任されるものの、万年最下位のようなチームに成り下がってしまったのです。

僕は子どもだったので、なぜこんなに弱くなってしまったのか、よくはわかりませんでしたが、それでも大好きなことは変わらず、応援し続けました。たまに巨人戦などに行くと、神宮なのにライトスタンドの半分以上まで巨人ファンだ埋まっているようなありさま。悔しいけれど、それでも声を張り上げて応援してたっけ。

前置きが長くなってしまいましたが、そんな時代を経て、野村監督がヤクルトスワローズにやってきてくれたのでした。僕はすでに20歳の時。テレビ朝日の野球中継、野村スコープのおじさん。素人でも引き込まれる理論や分析を展開していたこの人なら、何か変えてくれるかもしれない、そう思いました。

1990年に監督になり、3年後の1992年、念願のリーグ優勝を果たすのです。三年待ってほしい。種をまき、水をやり、花を咲かせる、と。有言実行でした。暗黒時代、隠れるように応援を続けたファンにとって、まさに救世主でした。

ひいきのチームをただ強くしてくれたことにとどまらず、けがで復帰が絶望視されていた荒木や高野を復活させ、飯田や秦は捕手から外野手へのコンバートで才能を開花させ、小早川や辻、吉井など他チームで戦力外となったベテラン選手たちの力を引き出していきました。多くの選手たちを再生させていく姿に心惹かれました。

それは、野村監督が単に野球の理論や分析に長けているということにとどまらず、選手たちが人として輝けるようにという愛情あふれる人物だったからに他ならないと僕は思っています。

亡くなられた今、たくさんの教え子たちが追悼の言葉を発しています。こんなに多くの教え子がいたということに、改めて驚かされます。「財を残すは下、事業を残すは中、人を残すを上とす」、野村監督が目指したもの、見事に人を残されました。こんな野球選手はいまだいなかったし、これから先もなかなか現れないものと思います。

それに較べてこの俺は。較べるのもおこがましいですが、いまだ「下」にも至れない自分を恥じ入るばかりです。

京都の寒村、高校進学も危うかった極めて貧しい母子家庭で育ち、南海球団にテスト生として入団も一年でクビ寸前となり。そんな逆境から這い上がってきた野村監督。だからこそ、人にやさしいのだと、僕なりに感じ取っていました。

これも、ぬくぬくと育ってしまった自分にないもの。遅ればせながら、おまえは今から出発せよ、ということを教えてくれていなのだ思います。

息子もノムさんが大好きでした。話し方やボヤキを面白がっていたというのもありますが、子どもなりにノムさんの発言を受け止め、理解していたのだと思います。「失敗と書いてせいちょうと読む」。そんなノムさんの心が、けがれなき子どもには伝わるのだと思います。字の本をなかなか読まない息子。ぜひノムさんの本を読んでみれば、と伝えてみました。そして僕も、もう生の声を聞けなくなってしまった今、まだ読んでいない野村監督の本を読んでみようと思います。

さみしいですが、さようなら。野村監督。

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

   

5Gは大丈夫なのか

 

こさいたろうの視点・論点 0126

2020/01/09

 

5Gは大丈夫なのか

 

2020年が始まり、気になっているのが、携帯電話の「5G」サービスの開始です。3月には、携帯大手3社が「5G」の商用サービスを開始し、5G対応スマートフォンも次々と登場することになるようです。世界では、昨年80社を超える通信事業者(キャリア)が1100都市/地域で「5G」のサービスを始めたそうですが、日本は五輪開催に合わせたそうです。

 

専門知識がないので、わかりやすく説明しているサイトを調べると、5Gは「高速」「低遅延」「同時多数接続」が特徴なのだそうです。ただ、効果を享受するには、さらなるインフラ整備が必要で、それには最低3-5年はかかるようです。当初は、スマホやネットのスピードが少し早くなるくらいの実感のようですが、あらゆる産業での利活用が進むのだそうです。以下、日本食糧新聞の記事より抜粋です。

 

ドローンや無人農機を制御した人力に依存しないスマート農業の実現。完全自動運転が実現。インフラ管理や行政サービス、防犯、教育などへの利活用でスマートシティー化・スマートライフ化。建築・土木分野では建機の自動化で施工の精度や安全性が向上。センシング技術で橋梁などの予防保全も強化。医療分野では遠隔地からの診察や手術が可能に。電子決済が普及することでショッピングのキャッシュレスやカードレス化がより一層加速。家庭内でも世界中のサービスがリアルタイムで受けられるように。冷蔵庫の中身からレシピを自動で判断し、足りない食材を自動で購入できるような時代もすぐそこに。

 

僕らが子どものころの「空想の未来社会」が現実に、という感じです。まだまだ実感できませんが、ここまでくれば着実に進んでいくのでしょう。一方で、ネットを検索すると少なからず出てくるのが「5G・健康被害」。実は、僕の関心は、どちらかといえばこちらの方にあります。大丈夫なのだろうかと。

 

僕は専門外なので詳しく記すことはできませんが、5G電波はこれまでの電波よりも人体・生き物の体に伝わりやすい電波であることは間違いないようです。導入する側はおおむね人体に影響はないとしているようですが、世界各地で悪影響を懸念する声が高まり、悪影響があるとの研究結果も出てきているようです。

 

ベルギーのブリュッセルでは5Gの実験・導入を全面禁止にしたとの報道もあり、欧米では5Gの安全性を改めて調査する動きが少なからずあるようです。便利になることは悪くはないと思いますが、日本でも、5Gの電磁波が人体や自然環境に及ぼす影響について、改めて考えるべきではないかと思うのです。リスクの情報が届かないのはおかしいと思っています。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

     

 

東京五輪をキレイに仕上げてほしい

 

こさいたろうの視点・論点 0125

2020/01/08

 

東京五輪をキレイに仕上げてほしい

 

今年はいよいよ、東京五輪が開催されます。日本の選手や世界のトップアスリートたちがどんな活躍を見せてくれるのか、とても楽しみです。ただ、東京にいないので実感はほとんどありません。近くの体育館に隣接地がフランスのビーチバレーボールチームの練習場になるそうで、ゆっくり工事が進められているのを見ると、思い出すくらいでしょうか。

 

2006年に始まった東京五輪招致活動。2009年に一旦潰えたものの、再度挑戦し、2013年9月のIOC総会にて、2020年オリンピック・パラリンピックの東京開催が決定しました。14年もの長きにわたって、日本は東京五輪開催に向けて走ってきたことになります。いよいよ本番目前。ここまでくれば、素晴らしい大会となることを願うばかりです。

 

僕は、素晴らしい大会になると予測しています。まじめで勤勉な日本人の力が結集され、つつがない大会運営がなされ、トップアスリートたちは力の限りを尽くした戦いを展開し、大きな感動とともに閉幕するものと確信しています。一方で、僕が大きく懸念するのは、偉い人たちのふるまいです。

 

大きな感動とともに幕が下りる「東京オリンピック・パラリンピック」。真にキレイに仕上げるには、偉い人たちのふるまい、行動にかかっていると思うのです。今の時点でさえ、招致に使われた海外コンサルタント費9億円余りの支出を裏付ける会計書類の所在が不明になっている、と報道されています。

 

招致の際の会計帳簿を焼却した長野五輪の時と同じ状態に見えます。長野五輪の際は、開催後に問題が浮上したが、結局うやむやになったと記憶しています。昨今の国政で起きている公文書の廃棄、改ざんなどの不祥事も頭をよぎります。日本ってこんな国なのか、こんな国でいいのか、偉いたちによく考えてもらわねばなりません。五輪関係文書の不明はあってはならない。

 

また、大会開催経費が激増していることも看過できません。責任ある人々には、きっちりと言い訳をしてもらい、責任を取ってもらう必要があります。金を稼ぐ経験をしたことのない政治家や役人が取り仕切ると、そういうことになるのは火を見るより明らか、過去にそんな実例はゴロゴロしています。大会組織委員会会長は元首相・森喜朗氏、事務総長は元大蔵事務次官・武藤敏郎氏。ついでに言えば、名誉会長は経団連名誉会長の御手洗冨士夫氏。

 

立候補ファイルでは、「世界一コンパクトな五輪」「世界一カネのかからない五輪」とするとしていたはずです。2013年1月にIOCに提出した立候補ファイルには、大会経費として8,299億円と予算が提示されているそうです。それが、組織委員会が公表している数字でも、1兆3500億円となっています。はっきり言ってザル予算です。さらに膨らむのは間違いないように僕には見えます。

 

さらには、昨年末に発表された会計検査院の調査報告書によると、大会の支出総額は約3兆円となることが分かりました。日経新聞の記事によると、内閣官房は「指摘は五輪との関連性が低いものまで一律に集計したものと受け止めている」としているようだが、それを説明する、あるいはさせるのが政府の責任です。やらないのは、やりたくないからではないでしょうか。

 

こちらも、長野五輪の時の報道を思い出します。会計に関するチェック機能が働かず、多額の赤字が生じ、結局は多くの税金が投入されたように記憶しています。新国立競技場建設のような金額が大きい案件に焦点が当たりますが、すべての内容を目を皿のようにして精査することが求められます。そのためにも、「書類を捨てた」はあり得ません。偉い人の最大の責務です。

 

2020東京オリンピック・パラリンピック競技大会が、感動とともに素晴らしい閉幕を迎えた後、もしもキタナイ部分が見つかるならば、徹底的にさらけ出さなければなりません。「終わりよければすべてよし」などと言って、「まあ帳尻合わせておけばいい」などと言って、うやむやにしては絶対にいけません。・

 

五輪に至る日本に、もしもキタナさとともにあったのならば、どこがキタナかったのか、何がダメだったのか、だれが首謀者なのか、目を背けず白日の下にさらすべきです。それが、今までの日本を変える、未来に日本をつくる、真の糧になると思うのです。隠しちゃダメです。もしも、権力者が隠しにかかったら、その者たちを引きずり降ろさねばなりません。

 

そうなれば、国民にとって、2020年に東京五輪を開催した意味があったといえるようになると思うのです。僕は、五輪閉幕後の総括が、未来の日本を決定づけるといっても過言ではないと思っています。これも、うやむやにさせてはならない、という国民の意志が問われていると思います。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

     

 

 

 

 

 

 

 

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安倍長期政権の終わり方〈山崎拓氏インタビューを読んで〉

 

こさいたろうの視点・論点 0124

2020/01/07

 

安倍長期政権の終わり方〈山崎拓氏インタビューを読んで〉

 

先日、ネットで山崎拓氏のインタビュー記事が目に留まりました。もともとは自民党の重鎮だった氏は、昨今の政治のありようを憂い、安倍政権への批判を強めているようで、注目していました。今回は、このインタビュー記事の中から、僕が気になったところを紹介し、論評を加えてみたいと思います。山崎氏の発言は、要旨・抜粋させて頂きました。

 

「レガシーなき長期政権」

山崎氏発言:憲政史上最長とはいいながら主だった功績はない。アベノミクスはデフレ脱却を実現できず、北方領土交渉は膠着状態、公約した拉致問題は未解決のまま、憲法改正も迷走状態です。

 

政策的な実績を振り返ってみると、そうなんですよね。安倍首相を支持する人たちは、経済の好調さや米国と良好な関係を維持できていることを評価しているようですが、大きな仕事を成し遂げている感じはしません。また、安倍首相自身がよく言うように、民主党政権と比べれば比較できないほどかもしれませんが、それは比較対象がダメすぎたからにすぎません。僕は、「日本がどんな国を目指すのか」という明確な方向を、安倍首相や自民党が明確に示していないことが、レガシーを生み出せない最大原因だと思います。これだけ長く政権を担っているのに。それは国民自身の課題でもあります。主権者として、政治家たちに、「我々は何を目指すべきなのか、を示せ!」と強烈に求めるべき時代が到来している、そんな歴史的転換点に世界はあるのではないでしょうか。

 

「俗な官僚に主導されています」

山崎氏発言:〈中曽根政権と比較して〉「官邸主導」の意味が真逆です。中曽根総理は土光臨調に象徴されるように、あくまでも民間の有識者の英知を活かして官僚を主導しました。しかし、… 安倍総理は官僚を使うのではなく、面従腹背の官僚に使われているようにしか見えない。

 

政治が、目指すべき国家像を示せないと、こうなります。どういう国をつくるのか、という一番大事な役割を官僚が担うことになります。役人は、実務能力にはとても長けていますが、国家の大方針を決める立場にはありません。あくまで、国民が選挙で選ぶ政治家がその役割を担うのが、民主主義国家のゆるぎない大原則です。たとえば、「一億総活躍社会」などというスローガン。まあ、みんなが活躍できる社会をつくろうよ、という意味ではだれも反対はしませんが、「一億…」なんて言う表現は全体主義的だし、もっとこなれた言い方はないの、っていうのが率直な感想です。誰も反対できない、でも上から目線なスローガンを臆面もなく打ち出せるのが、役人主導の証左だと僕は思います。役人にとっては、「みんなが反対しない」が重要なのです。それで、自分たちの仕事を無限に広げることができるから。それを簡単に受け入れて、「一億総活躍社会をつくります」なんて演説している政治家を見ると、山崎氏の言う、「面従腹背の官僚に使われているようにしか見えない」に同感せざるを得ません。

 

「世襲主義」

山崎氏発言:戦後政治を振り返ると、そこには戦前から続く官僚主義と、戦後に始まった草の根民主主義という二つの潮流がありました。戦後政治の底流には、エリートと叩き上げ、そのどちらが日本を引っ張っていくのかという主導権争いがあったのです。ところが、現在の安倍政権はエリート主義でも草の根主義でもなく、いわば世襲主義です。エリートでもなければ叩き上げでもないボンボンが日本を引っ張っているという状況は、これまでになかったことです。

 

国会議員の1/4が世襲といわれていて、2014年の総選挙では、自民党候補の約70%が世襲候補だったそうです。世襲議員を全否定するつもりはありませんが、実力以上に下駄を履いているのは事実。参入の障壁があまりに高すぎるために、日本にたくさんいるはずの優秀な人材が政治に流入せず、しっかりした能力評価をせず世襲議員に政治を任せる結果になってしまっている印象です。世襲議員の最大の弱点は、自らの人生を通じて自前の志を有していないことではないかと思うのです。安倍首相がやりたいと言っている「憲法改正」も、実は「おじいちゃんの志」と思ってしまうのは私だけでしょうか。安倍首相から、何を目指し、憲法のどこを、まさに今、変えねばならないのだ、という「志」が伝わってこないのがその証左です。

 

「小選挙区制の弊害」

 

山崎氏発言:中選挙区制では無所属非公認でも選挙に出て、当選することもできました。私自身、1972年の初当選時は無所属でした。しかし現在の小選挙区制では無所属非公認では選挙に出られない。出ても当選できない。昔は志さえあればチャンスを作れたが、今は志がないし、あってもチャンスが作れない。その結果、地盤・看板・鞄はあるが志のない世襲議員が増えていき、自民党の質が著しく劣化している。「自分は生まれながらに政治エリートになる資格がある」と勝手に思い込んで出てくる人間ばかりで、安倍という権力者にしがみつくだけの政治家群像になってしまった。

 

政治劣化の根源、僕もここにあると思います。僕の年齢だと、中選挙区制の弊害の時代も辛うじて知っており、中選挙区制に戻すかどうかは別にして、小選挙区制は即刻やめるべきと強く思っています。このままでは有為な人材供給がなされません。公認してくれる政党幹部の顔色ばかり窺い、国民に目を向けない政治家ばかりになってしまいます。少なくとも議席数は、国民の投票に基づき比例配分される制度にすべきと考えます。それが、民意を鏡のように反映する唯一の方法です。

 

山崎氏はこの後、インタビュアーの「小選挙区制度の弊害は明らかです。この制度は変えるべきだと思います。」の問いに、「それはその通りですが、現実的ではないと思います。小選挙区制で当選している議員に選挙制度を変えるモチベーションはないですからね。」と述べています。

 

これは、僕は違うと思います。選挙制度を変えることが日本の未来を大議論するスタートになる、ということを国民に強く伝え、それを公約する政治勢力が選挙で信を問えばよいのです。政界のみならず、各界の多くの識者が、小選挙区制度の弊害を指摘している今、国会議員にモチベーションがないからと言って、選挙制度改革をあきらめていいのでしょうか。国民の本気度が問われていると思います。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

     

 

 

 

 

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令和 初の新年を迎えて思うこと〈自然への畏敬〉

 

こさいたろうの視点・論点 0123

2020/01/03

 

令和 初の新年を迎えて思うこと〈自然への畏敬〉

 

あけましておめでとうございます。

 

私は今年も、掃除も片付けも予定通りは終わらず、慌てて年越しの食事の準備をして、息子と二人で紅白を見て、ゆく年くる年を見て、そのあとは酔って何を見たか忘れましたが、お笑いのテレビを見て、布団に入り、新年を迎えました。元日に、掃除の残りを少しやり、準備した食材で人生初めての「おせちづくり」をしました。初詣は2日。石尊神社。今、私たちが住んでいる地域の社。急勾配の石段を上り、山の上にて拝殿し、本年の無病息災を祈念しました。いつどんな災害が襲ってくるか、いよいよわからない時代なので。

 

令和元年。お隣の長野県では、台風による甚大な水害が襲いました。お隣なのでより身近でしたが、昨年は東日本全体が複数の台風による大被災をしました。その前の年は、西日本の水害。それ以外にも地震も頻発。いつどこで、どんな災害に見舞われるか予断を許さない、令和の日本、偽らざる現状です。

 

人間は自然を制御できるのか。私は、完全にはできないと感じています。都会で生活していたころは、そんなことすら考えませんでしたが、山里に暮らして6年余り、そう思います。「完全にできない」というのは、「ある程度はできる」の意味です。ここが重要に思っています。人間が抑え込めると驕った瞬間、強烈なしっぺ返しを食うことになるように感じます。自然に近い場所で生きていると、「かなわない」というふうに感じることが時折あります。まだ、うまく説明できないんですが、そんなふうに思うことがあります。

 

人間は、自然の中で生かされている存在だということ。人間が、すべてを支配することはできないということ。人間は、自然と、あらゆる生き物と共存することでしか生き続けられないこと。科学技術は進歩を続けますが、それは絶対ではないということ。日本と日本人は新しい「令和」という時代を、私たち自身の生き様を見つめ直す、そんな時代にすべきではないかと、年頭に思いを巡らせています。

 

いつも拙文の配信にて恐縮ですが、本年もお目通し賜れば幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

     

 

 

 

 

 

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改革はチェックし続けないと逆戻りする

 

こさいたろうの視点・論点 0122

2019/12/15

 

 

改革はチェックし続けないと逆戻りする

 

 

先日、港区議会議員をしている友人のSNSが目に留まりました。

 

「ただいま、神奈川県の指定管理者制度につき、魅力的な発表を聞いています。神奈川県議会の常任委員会では、指定管理者の募集に際して、募集条件案や選定基準の考え方が、事前に担当委員会に報告されています!港区もぜひ!」と書いてありました。

 

「あれ、昔はやっていたはずだけどなぁ」、と僕は思いました。僕が港区議だったころ、4期目の任期では「指定管理者制度」の適正な運用、健全な発展をテーマにしていましたから、気になったのです。

 

この港区議は、石渡幸子さんという方です。私と同じ歳、大学も一緒、僕が25歳の初出馬の際にも港区に住んでいて、応援してくれました。その後も、港稲門会という同窓会組織の立ち上げをご一緒したり、縁の深い方。その後、司法試験を受けて弁護士になられました。ただ、去年、港区議選に出ると連絡がきたときは、さすがに驚きました。

 

全国的に話題となった「青山に児童相談所を作る」という計画に賛成の立場で、それはメインの公約として立候補を決意したそうです。僕は今や、田舎のおっさんなので何の手伝いもできませんでしたが、石渡さんを応援してくれそうな何人かの方に手紙を書く位はしました。そして、その結果、なんと当落線上、一票の差で最下位当選を果たしたのです。

 

どこに行っても、「自分の一票で石渡さんは当選した」と言われるそうです。何かを「持っている」と思います。

 

話が脱線してしまいましたが、僕は石渡さんに伝えました。「昔はやってましたよ。総務委員会に。そして、指定の議案審議の際には、どっさり資料要求して、審議してたけどなぁ。すっかり緩んじゃったんだなぁ。」

 

すると、石渡さんからは、「保健福祉では審議に際して、第三者評価や経理関係の元資料について、請求したら出してくる、式ではなくて、最初から委員会資料で寄越して欲しいと行政に伝えています。総務ですか、、、聞いてみようっと。」と返事がきて、

 

「あ、所管の委員会だったかも、です。いずれにしても、要求しなくても出してくれだと、都合のいい奴しか出てこないので、最後は要求した方がいいと思います。募集前の報告ももちろんですし、選考の過程、議事録や採点結果なども「原則すべて公開」が当然だと思います。頑張ってください (^^)/」、と返しました。

 

「うん、確かに所管の常任委員会に丁寧に報告されていたはず」。やり取りをしながら、記憶がよみがえってきました。

 

そこで、港区議会議事録検索システムをあたりました。検索画面の発言者欄に「小斉太郎」を、キーワード欄に「指定管理者」を入力し、「検索実行」をクリック。やはり、昔は丁寧に報告されていましたよ。時間がなくて全部は調べられませんでしたが。

 

H21.10.26 建設委員会(閉会中審査):ここで、指定管理者を公募する報告が行われています。

H18.4.28 保健福祉委員会(閉会中審査):指定管理者を公募するという報告

H18.7.28 同委員会(閉会中審査):公募を経て運営事業者が決定したことの報告

 

石渡さんには、「制度が始まったころには、丁寧に所管の常任委員会に報告されていたものと推察されます。調べてみて下さい。」と、伝えました。さらに、僕が水面下で情報収集して、委員会で取り上げている事例も見つかったので(H20.5.21 総務委員会)、以下のようなアドバイスもしました。

 

「・ 常にアンテナを張って、その都度報告を求める ・ 正副委員長を通じて毎回報告するよう役所に求める ・ 本会議で区長答弁をとる、など、必ずその都度報告させるために、いろいろな方法が考えられるかと思います。僕は現場にいないので、議会の雰囲気や情勢を見ていろいろやってみて下さい。」

 

「これを書きながら思ったのは、最も高い壁は、実はこういうことにほとんど関心がない「議会の議員」かもしれません。また面倒なことを言いやがって、というような感じで。さらに、報告なんかしたくない役人がいわゆる「与党議員」に取り入って、潰しにかかるとか。ホント、バカらしいんですが。」

 

指定管理者制度は公の仕事を民間が担える画期的な制度なので、疑念を持たれる事業者の決定や運営内容を徹底的に排すべきと、当時の僕は考えていました。それには、徹底的な情報公開を行い、説明を尽くすことが不可欠だと考え、議会での質疑に相当のエネルギーを注ぎました。役所にもひそかに理解者や賛同者がいました。たった10年ほど前の話です。

 

それが、たった10年の間に、時計の針は逆回転し、議会への報告もなされなくなってしまったようです。もちろん、チェック役を託せる議員を残せなかったことを反省していますが、それにしても、残念ですし、悔しくもあります。

 

政治風土を変えなければなりません。国民主権の国の政治にしなければなりません。なのに、今は国政も時計の針・逆回転の様相です。国民の意志がどこにあるのか、それともないのか、あらためて問われていると思います。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

 

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必要なのは選択できること〈この秋からの幼保無償化は正しいのか〉

 

こさいたろうの視点・論点 0120

2019/12/10

 

 

必要なのは選択できること〈この秋からの幼保無償化は正しいのか〉

 

 

この10月から「幼児教育・保育の無償化」がスタートしました。内閣府のホームページには、「幼稚園、保育所、認定こども園などを利用する3歳から5歳児クラスの子供たち、 住民税非課税世帯の0歳から2歳児クラスまでの子供たちの利用料が無料になります」と書かれています。

 

多くの保護者は歓迎しているものと思います。保育園や幼稚園の保育料がタダになるわけですから。僕も、その年齢の子どもを持つ身なら、少しでも家計の負担を軽くできるという意味で、とても有難いと思うと思います。というか、思います、絶対に。ただ、深く考えてみると、ここに欺瞞といいますか、ある種の仕掛けがあるようにも思います。

 

タダになるのは嬉しんですけれど、それは誰かが無償労働をするようになったわけではなく、自分で出していた分を誰かが肩代わりしているわけですね。つまり、税金で。誰かは自分の場合もありますね。足りなくなれば、どこからかお金を持ってくる必要があるわけですね。税金を上げて。例えば、消費税の増税とか。

 

まず、そこのところをよく考える、というか忘れてはならないと思います。タダとは、タダでないということ。さらに言えば、年収360万円未満世帯の例外、第3子以降の子たちの例外、住民税非課税世帯の0-2歳児の例外等々、相当煩雑な事務作業が発生するはず。施設と地方自治体のやり取り、自治体と国のやり取りは複雑化、相当な行政事務経費が掛かることが想定されます。

 

僕は、もっともっと十分に検討すべき政策だったのではないかと思っています。消費税増税とセットで、増税の負担感を軽減させるためだけに、無理やり、急ぎ足で導入が決まったのだと思っています。どういう日本国を目指すための「幼保無償化」なのか、僕には見えないんです。タダにすれば嬉しいでしょ、っていう感じしか受けないのです。

 

この「幼保無償化」の政策によって、その恩恵を受けるには役所の認可など、実質的なお墨付きが必要になります。今の政治や行政には認められなくても、利用者に支持され独自の教育や保育をする施設やサークルは存続しにくくなる懸念があります。報道によれば、実際に影響が出ているようでもあります。

 

独自の取り組みをする教育や保育の中から、普遍性を持つ方法が生まれることが多いことは歴史が証明しています。例えば、シュタイナー教育のよいところを公教育が取り入れたり、オランダの公教育で普及しているのイエナプランはもともとドイツで実験的に始まった教育モデルでした。

 

僕は、教育を選ぶのは利用者であるべきだと確信しています。役所が一律にお墨付きを与えるものではないと思います。多様な教育を多様な国民が支え、多様な人材が活躍する社会を目指す、そんな未来の日本の姿を僕は夢見ます。だから、保育園や幼稚園、学校は、利用者が、つまり保護者が、子どもが選ぶのが最も望ましいと思うのです。

 

はっきりいうと、今回導入された「幼保無償化」の制度は、幼稚園や保育園を役所の支配下に置くような制度のように僕には見えてしまいます。高等学校も無償化により同じようになることで、日本の子どもの育ちの環境が一貫して「単色」になってしまうような気がしてなりません。多様な色彩が消えていくような気がするのです。

 

難しいことはありません。子どもたち一人一人に「利用券」のようなもの(バウチャーという)を渡せばいいのです。日本国民には等しく同じ価値のものを。それを使って、生きたい、行かせたい施設、共感できる教育などを選べばいいのです。幼稚園や保育園、学校はそのバウチャーを集めて、保育や教育活動を行えばいいのです。

 

極めて公平です。ホームスクールも可能です。集まらなければ、運営はできません。役所は、最低限の基準を満たしているかどうかのみチェックすればいいのです。僕が考える「選択する教育・保育」です。この秋からの制度とは似て非なるものです。

 

ネットで調べると、同じような思想性で活動している組織もあるようです。単にタダにするのではない、選べる教育・保育という社会を実現することはできるでしょうか。これから、国民に問われます。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

     

 

 

 

 

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政府の情報は私たちのもの 〈桜を見る会問題を受けて〉

 

こさいたろうの視点・論点 0119

2019/12/09

 

 

政府の情報は私たちのもの 〈桜を見る会問題を受けて〉

 

 

現場を知る由もない一国民から見ると大事な臨時国会は、公職選挙法違反が疑われた「閣僚辞任」に始まり、首相や与党議員の後援会行事と化したかのような「桜を見る会」の問題で終わってしまったように見えます。

 

国会召集直後の日本経済新聞の紙面によれば、この臨時国会では以下のような重要法案が審議されたはずです。

 

日米貿易協定案:牛肉や豚肉の輸入関税をTTP並みに下げるなど

会社法改正案:上場企業などに社外取締役設置を義務付け

教職員給与特別措置法改正案:教員の長時間労働是正を目指す

外為法改正案:原子力関連企業などへの外資の出資規制強化

情報処理促進法改正案:デジタル分野に特化したガバナンス・コード作成

 

これらはどうなっただろうか、じっくり新聞を読めばわかるのだろうけれど。与党が圧倒的多数の国会なので、最後は多数決で可決するのでしょう。でも、普通に暮らしていて、全く耳に入らないのもどうかと思います。日米貿易協定において日本製自動車への追加関税が将来的にどうなるのかなど、徹底した審議を行い、深掘りすべきだったはずです。今の野党の決定的にダメなところ。

 

ただし、だからといって、「桜を見る会」の問題は大したことではない、とは決して言えません。

 

桜を見る会は、首相や閣僚、与党議員の後援会行事ではありません。後援会の旅行会のメインイベントのように扱うべき行事ではないはずです。それだけでもう問題です。いや、後援会行事であっても最低限実費をもらうのが当たり前で、飲食をふるまうことがあってはなりません。しかも、桜を見る会では、それを税金でやっているということがほぼ明らかになっているわけです。

 

今年の予算は5500万円、参加者1.8万人、一人あたり3000円程度、飲食やお土産代1000円程度は儀礼の範囲、などと公式発信している識者もいますが、僕は全く納得できません。金額の多寡の問題ではありません。今を生きる政治家の本質を露わにしているからです。支援者への特別サービス当たり前、しかも与党議員は税金でやっても問題ない、そういう本質を。

 

いつの間に、そういう政治に逆戻りしてしまったのでしょうか。

 

少なくとも、僕が政治を志した1990年代前半、そういう政治を変えねばならないという空気は政治の世界にありました。自民党にも、若手や良識派の中にあったように思います。そういう国民の思いが、2009年の政権交代という形で具現化したのだと思います。でも、最高潮に高まった期待はあっという間に裏切られました。そして、安倍政権の誕生により逆戻りが始まったように見ています。

 

逆戻りと言っても、昭和の政治では奥ゆかしさというか、自己抑制というか、そんな雰囲気があったようにも思います。いいことではありませんが。でも、今は、やって当然、何が悪いのか、という空気が一部にあるようです。

 

安倍首相の元秘書である下関市長・前田晋太郎氏は、「何十年も応援した代議士がトップを取り、招待状が届いて、今まで応援してきてよかったなって、いいじゃないですか」と述べたそうです。首相が地元支援者を招待することをよしとしています。このような言動が、今の日本社会の一部の空気を物語っていると僕は思うのです。もう一度、そういう政治を変えられるでしょうか。

 

前置きが長くなってしまいましたが、桜を見る会について、最も大きな問題点は簡単に公文書が破棄されてしまうという点です。誰の推薦で、どんな人たちを、何人招待したのか。そして、実際に参加した人は誰で、何人か。菅官房長官による政府公式見解では、もう検証できないということになっています。これが大問題だと僕は思うのです。

 

公文書。これは役所・役人の所有物?与党議員だけのもの?違いますよね。国民主権の国である日本では、公文書は間違いなく国民のものです。勝手に廃棄や改竄することは許されません。原則、すべての国民に閲覧の権利があります。

 

これらの考え方も、平成前期から政治の世界で声高に叫ばれていたものの、その実現を期待された政権交代の失敗で国民は幻滅。安倍政権に移ってからは抑え込まれていた権力者が解き放たれるが如く、時計の針が戻されていきました。森友学園決裁文書改ざん事件や防衛省日報隠蔽問題、厚労省の毎月勤労統計の改竄などが次々と発覚しているのがその証左です。

 

国民の財産ともいえる公文書・政府の持つ情報が、いとも簡単に捨てられたり、書き換えられたりする政治。それに蓋をしてしまうような政治。残念です。もう一度、そういう政治を変えられるでしょうか。国民に問われています。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

     

 

 

 

 

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日本の贈答文化と政治

 

こさいたろうの視点・論点 0118

2019/10/29

 

日本の贈答文化と政治

 

前回、菅原一秀代議士の「モノ・カネを配る」という件について取り上げましたが、思い出したことがあるので、記そうと思います。それは、政治家とその家族についてです。

 

僕は、24歳で区議会議員選挙に立候補しようと決意した時から、カネやモノを配ることはもちろん、それらを贈るといった一般社会ではごく当たり前に行われていることも、やらないことを心に決めました。そして、それを家族・親族に厳しく求めました。

 

選挙区内の有権者への贈り物は公職選挙法によって禁じられていますのでもちろんのこと、私は選挙区外の方に対しても「お世話になったから金品を贈る」ことをしないでほしいと家族・親族に求めました。それをし始めると線引きができなくなり、限りなく金がかかることになると思うからでした。

 

今、振り返ると、家族・親族には相当の負担をかけていたのだと感じます。近所の人たちと持ちつ持たれつ、モノをあげたり、もらったり。お世話になったあの方に、季節のご贈答。地域社会に暮らすものとして、応分の負担を。普通に暮らしていれば、モノ・カネのやり取りはごく普通にあり。

 

しかも、日本社会においてそれらのやり取りは、人間関係の潤滑油であり、むしろ「やりたい」気持ちが心の中にあるともいっていいのだと思います。逆に、それらを制限されることで、大きなストレスを感じることになる。僕は、政治から離れる頃になってようやく、家族・親族のストレスをはっきり意識するようになりました。

 

僕が政治の世界を離れて間もなく、妻は高級な調味料を取り寄せ、ご近所さんに配ろうとしました。実母は、引越し先のご近所に配りなさいと東京の高級和菓子をたんまり持参してきました。二人は奇しくも同じような行動をとったのです。

 

僕は、そんな贈答のお付き合いを継続させられないことが分かっているので、配ることを諦めてもらいました。でも、その時それぞれ、大いに不満の様子でした。僕は、政治家の家族にさせてしまったことで、相当の我慢を強いてしまったことを知りました。

 

妻も実母も、間違ってはいないと思います。理解してくれていたから、我慢もしてくれたのだと思います。でも、そこには、とてつもないストレスがかかっていたのだと思います。申し訳なかったという気持ちはあります。それでも政治家は、モノやカネを配る、贈ることをやめねばならないとも思うのです。

 

最も身近な家族・親族と、なぜダメなのか、なぜ自分がそのように取り組むのか、もっと丁寧に説明し、議論し、その意味や思いを共有するよう努力すべきでした。あとのまつりなのですが。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

     

 

 

 

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「モノ・カネ」を配る政治家がいまだにいること

 

こさいたろうの視点・論点 0117

2019/10/28

 

「モノ・カネ」を配る政治家がいまだにいること

 

世は「令和」となるも、いまだに「モノ・カネを配る政治」が堂々と行われていることを知り、愕然としている。しかも、メロン・カニの贈答について週刊誌報道され、国会でも追及されている最中であるにもかかわらず、選挙区内での葬儀に秘書が香典を持参したとのこと。

 

自民党・菅原一秀代議士。いつもやっていることだから、世の中で大ごとになりかけていても気付かなかったとしか思えない。こんな状況を目の当たりにすると、メロンやカニの事件は時効が成立しているようだが、各方面への「贈答」がなされていたと疑わざるを得ない。

 

モノやカネを配って投票してもらう。もらって投票する有権者、それはそれで問題だが、配る政治家の責任はより重い。政治家が賄賂で動く社会を許容しているに等しい。さらには、「配る」ためには「カネ」が必要で、より多くの「カネ」を集める必要が生じる。必然、グレーな「カネ」にも手を出すことになるはずだ。

 

菅原一秀氏は経済産業大臣を辞めて責任をとるとし、安倍首相は任命責任は自分にあり国民にお詫びするという言葉のみをもって幕を引こうとしているが、そんな軽い問題ではない。「モノ・カネ」を配っていたことが事実なら、議員を辞すべきだし、自民党は菅原氏を除名処分にすべき。

 

     

私が政治家を志すきっかけとなった体験の一つに、「口利き」への憤りがあった。いわゆる交通違反のもみ消し。政治家が役所に口を利いて、その対価を受け取る、こんなことが許されていいのかと、二十歳そこそこの若造は思った。今から30年近く昔の話。

 

私が政治を志そうと決めた時、長く政界に身を置いたある先輩がいろいろなことを教えてくれた。中でも、「これからの政治は、鉛筆一本配ってもいけない」、こう言ってくれたことをよく覚えている。心の底から、同感だった。そういう政治風土から変えねばならないのだ、と青臭く思い続けた。

 

区議会議員になった後、秋の祭礼の奉納金を出すように町会の方から言われた。その頃は、神酒所に酒を持参し、奉納金を置いて回る政治家がまだいた。だから、出す方も受け取る方も法律に触れます、と言う私に白い目を向けられることもあったが、毅然と対応することで少なくとも私の地元には浸透したように思う。

 

政治家である間、年賀状も出したことがない。自筆、答礼を除き、選挙区内の有権者に宛てて年賀状を送ることは公職選挙法で禁じられている。禁止でなければ、金さえあれば全有権者に出せる。あのライバルが出すなら、自分も。金持ちほど有利になる「金権選挙」になる。

 

ふつうに暮らしていれば、付き合いのある人に年賀状を出すのは当たり前だし、地域社会で生活していれば、何か世話になれば贈り物を贈り贈られるのも当たり前。お祭りの奉納金など、お金のお付き合いもちょくちょくある。それでも、政治家はやってはいけないと私は強く思っていた。

 

一つ例外を作ってしまえば、もう「蟻の一穴」となる。世話になった度合いを測り、あの人には贈って、あの人は贈らないなんてできない。また、地域社会の付き合いなのか政治家としての行為なのか、線引きは不可能。何より、一度やったらやめられなくなってしまうのだ。「モノ・カネ」の付き合いの方が当たり前だから。

 

これは、地域社会に根ざして政治活動をする、自民党をはじめとした保守政治家にとって特に悩ましい。「世間の当たり前」を実行できないということを、自ら説明し、理解してもらう必要が生じるからだ。でも、一線を越えれば、もう元には戻れない。

 

だからこそ、大臣にまでなる政治家が「モノ・カネ」を配っていたことが明らかならば、司法判断を待つまでもなく、党籍を剥奪し、議員辞職を促す責任が大・自民党にはある。大臣のみならず、国会議員から地方議員まで、こういうことをやっていいのか悪いのか、厳しく姿勢を示すべきだ。

 

正直に言って、私が政治の現場にいた6年余り前でも、ここまで露骨でないにせよ、グレーなことは見聞きしていた。山梨に来た後も、政治家の「カネ・モノ」にまつわる出来事を見聞きしたこともある。長期政権だからこそ、このように根深い悪しき政治風土を変える力を発揮してほしいと思うのだが。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

 

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水害について、Twitter上でのやり取り

 

こさいたろうの視点・論点 0116

2019/10/27

 

水害について、Twitter上でのやり取り

 

先にご紹介のとおり、水害を目の当たりにした私の思いをTwitterに載せましたところ、ご意見を寄せて頂きました。一件だけ、しかもとても短いやり取りですが、私にはとても嬉しいものでしたし、有意義な議論になったのではないかと思います。今号ではそのやり取りを紹介してみたいと思います。

 

     

 

【 こさいの一連のツイートを受けて(引用)】

 

(※ ご意見)それを諦める事は、立場の弱い者から順番に生存権を奪う事に他ならないと思います。不躾にすみません。

 

(こさい)いえいえ、ありがとうございます。治水を諦めろと申してはおりません。ただやみくもにもっともっと、ってダムを大きくしたり堤防を高くするのは違うんじゃないか、と思うのです。想定外はいつかきてしまうはず。自然と共存する道があると思えるのです。

 

(※ ご意見) 今回被害に遭われた各地が無策であったとは言えませんが、本格稼働前の八ッ場ダムや、春日部の外郭放水路といった対策を取れた利根川(江戸川)は氾濫を防げました(石田川など氾濫はあったようですが)限界はありますが、日本列島に人が住む以上、継続的な治水を怠ることはならないと思います。

 

(こさい)これもですね、そうではない、というつもりはありません。ただ、あと少しでも降雨量がませば、結果は分からないと思うんです。うちの近くの釜無川も、あと少しで氾濫していたかもですし。考えどきがきていると思います。

 

(※ ご意見)少しでも氾濫を遅らせると言う意味では無意味な事はないと思うのですが。仰る通り全てを均等に維持していく限界を考えると、居住する範囲を狭めていく等の方策が必要になる時期にはきていると思います。本の「撤退の農村計画」がそういった内容らしいですがまだ読めてません。

 

(こさい)ありがとうございます。おっしゃる通り、無意味ではないと思います。ただ、治水のためにそんなに金をかけ続けられるかな、と思います。自然災害を避けて通れない日本は特に、自然を制御する生き方には限界があるのではないか、と。書籍の紹介、ありがとうございます。読んでみたいです。(引用、終わり)

 

 

こんなやり取りでした。この方のおっしゃる通り、これまでの治水対策がなければさらなる被害拡大を招いていたかもしれません。これまでの治水対策の効果はあったものと思います。でも、今回の被害を見ていると、被害ゼロにするための治水対策はできるのか、私は大いに疑問を感じました。

 

私が問いかけたかったのは、「どこまでやればいいのか」「どこまでカネをかけるのか」「ダムや堤防を造り続けることが最善か」などといったことですが、この方とのやり取りを通じて、分かりやすく浮かび上がらせて下さった気がします。

 

この度の災害を通じて、自治体ごとに作成してある「ハザードマップ」の存在が改めてクローズアップされました。洪水が起きる可能性を示した地図、結果としてはかなり精度が高かったようです。日本の災害への備え、治水などのレベルの高さを示していると言えます。

 

私たちがこれから考えるべきことは、ダムや堤防をつくることで被害を食い止めることから、災害を避けて生きる、被害を受けないように自分たちが動く、そのような方向にシフトすることではないか、と強く感じます。

 

この方にご紹介頂いた書籍、「撤退の農村計画」、まだ読んでいませんが、読んでみようと思っています。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

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自然を抑え込むことはできるのだろうか(同時多発の大水害を目の当たりにして)

 

こさいたろうの視点・論点 0115

2019/10/26

 

 

自然を抑え込むことはできるのだろうか(同時多発の大水害を目の当たりにして)

 

 

大変な被害となってしまいました。この秋の台風襲来。我が家は土砂災害警戒区域内に所在しており、10月12日には念のため、近隣の指定避難所〈体育館〉で一夜を過ごしました。我が家も、田畑も、近隣の皆さんも被害はほぼありませんでした。

 

ただ、少し落ち着きを取り戻した後、テレビのニュースなどを見ると、関東から長野、東北地方に至るまで被害が広範囲にわたっており、しかも尋常ならざる洪水をはじめとした災害の様子を映し出していて、目を疑い、言葉を失うばかりでした。

 

そんな中、10月13日、ラグビー日本代表チームが予選突破をかけて強豪スコットランドと対戦する試合が行われました。結果は見事な勝利。日本チームは素晴らしいプレーをもって、私たちに勇気と感動を与えてくれました。私は、ゲームが開催されたこと、よかったと感じます。

 

ただ、この日のSNSを見ると、多くの政治家がこのゲームについての投稿をアップしていました。中には、日本代表ジャージを着てスタジアムで観戦する様子を投稿している人もいました。大災害が起きている地域が選挙区の人もいました。私の旧知の政治家でした。何だか残念でなりませんでした。

 

「それとこれとは違う」、とおっしゃるかもしれません。でもですね、報道からも、いや、現地の肌感覚として、抜き差しならない事態が起きるかもしれない、ちょっとヤバいぞ、っていうのはわかるはず。ラグビーの応援をすることは、どう考えても後回しの状況だったのでは、と私は強く思いました。

 

そんなふうに思った夜、Twitterに思うことを綴りました。昔、そういうふうに発信していたことを思い出して、書いてみました。今回の「こさいたろうの視点・論点 0115」には、その投稿をそのまま掲載してみます。

 

(以下、引用)山里にいるから思うんです。ラグビー日本の躍進嬉しいんだけど、昨日の今日、至る所で堤防決壊してる中、日本は大丈夫なのか、って。

 

日本の叡智を集めて、ダムを作り、堤防を整備し、100年に一度の洪水をも抑え込める河川管理をしてきたはず。でも、その想定はなんなくやぶられた訳で。

 

それも、局地的ではなく、極めて広範囲で。至る所の洪水の映像が生々しく、我々の信じてきた文明の限界を示しているように思えるのです。

 

では、昨日から続く災害を振り返り、さらにそれを抑え込むダムを作る、高い堤防を作る、ていうような従来発想で本当にいいのか、考え込んでしまうのです。

 

東日本各地で、生活の場所が水浸しになっていること。人命救助や当面の復旧を急ぐことは当然なんだけど、もっと根源的な何かを、我々に突きつけているように感じるんです。

 

少なくとも今日、ラグビー映像にかさなり堤防決壊の文字情報が流れ続ける中、政治に携わる人たちには考えてほしい。ラグビーのSNS投稿は違うんじゃないか。

 

これからあるべき日本の姿。真剣に考えなさいという、お天道様の思し召しかとも思う。ラグビーの日本代表選手たちがいろいろな国の人、っていうのも、新しい日本の姿ともいえるのではないか。

 

人間が自然を抑え込むことは、僕は出来ないのだと思います。それを受け入れることが、日本の生き方の柱の一つになるのではないかと、思います。

 

洪水の映像、あまりに衝撃的で、思うところを残しました。乱文ご容赦を。(引用、終わり)

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

     

 

 

 

 

 

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ああ、関西電力

 

こさいたろうの視点・論点 0114

2019/10/04

 

 

ああ、関西電力

 

 

その昔、私が衆議院議員の公設秘書となって議員会館に勤めた時、「デンジレンの人」が毎日のように部屋に来ていたことを思い出しました。今から26年前、1993年〈平成5年〉ごろのこと、私はまだ23歳でした。「デンジレン」が「電事連」ということすら全く知らない、無知な若造でした。

 

私が政治の世界に踏み出す決意をさせてくれた「新党さきがけ」。当時、自民党の劣化を憂い、新しい政治の流れを作るべく自民党を飛び出てきた若手政治家たちが結成した政党でした。後に師と仰ぐこととなった田中秀征氏も、今の私と変わらぬ年齢だったはずです。

 

あの頃、新党さきがけのメンバーは、規制緩和の実現に向けて力を傾けていました。各省庁が権限を持つ各種規制、特に経済的規制を緩和して、日本の活力を生み出すという方向に邁進していました。当時、各省庁の規制が一万以上もあることに驚いたことを覚えています。そのリストを作るのにも大きな抵抗があったようでした。

 

緩和すべき規制の中に「電力自由化」が入っていたわけですね。だから、それを強力に推進しようとしていた国会議員の事務所に「デンジレンの人」は情報収集に来ていたわけです。来ていた人はとても人のよさそうな方でしたが、国の規制という既得権に守られた電気事業を守るための重要な役割を担っていたわけですね。

 

あれから26年、発電部門の自由化の後、東日本大震災による原発事故という大災害をきっかけとして、電力小売も全面自由化となりました。2020年には送配電網の公平な利用を進める改革が進むようです。「選べる電力」、もっと深化してほしいと願うものの一人です。

 

でも、今回の関西電力の事件と発覚後の役員の対応を見ると、「既得権に守られた電気事業を、自分たちの会社を守る」という体質は全く変わっていないのだと感じます。残された「原発既得権」を守るためなら何でもする。死人に口なしとばかりに責任を押し付けて、自分たちに非はないと役員に居座ることも厭わない。

 

次のエネルギー基本計画見直しの際に、電事連は、原発の新増設、リプレース〈建て替え〉の文言を盛り込むよう求め、固定価格買取制度の原発版などの環境整備も訴えるはずだったそうです。あれだけの原発事故が起きてしまってなお、です。

 

札束をはたいて原発を作り、その札束を自らの懐に入れるという、今回の事件。日本のためでなく、自分たちのために原発を作りたい、動かしたい、ということが露骨に表れてしまったものと思います。私は、即時原発ゼロ派ですが、そこまででなくとも、日本に原発が必要か、国民が今一度考えるべき時なのではないでしょうか。

 

それにしても「菓子箱を開けると菓子の下に金貨が…」。水戸黄門じゃあるまいし。ただ、時代劇・水戸黄門では、渡す方ももらう方も、いずれも悪人。水戸黄門が懲らしめて両成敗。今の時代、水戸黄門は誰なのか。それは、主権者である国民であるべきだと思うのです。国民として、許してはいけない事件だと思うのです。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

     

 

 

 

 

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ああ、消費税10%

 

こさいたろうの視点・論点 0113

2019/10/03

 

ああ、消費税10%

 

9月30日、消費税が10%に上がる前日、スーパーに食材を買いに出かけてしまいました。いつもより余計に買ってしまいました。食料品は軽減税率適用で、翌日からも8%据え置きなのに。すっかり忘れて「今日のうちに」なんて、バカでした(笑)

 

軽減税率。私の商う品物は野菜やたまごなどの農産物なので、ほぼすべて軽減税率の対象です。でも、私の個人事業は売上1,000万円に満たないため、消費税の免税事業者です。商品価格も内税表示でやっています。なので、今回はこれといった対策はしませんでした。

 

ただ、ヤマト運輸の運賃をはじめ、梱包資材などの各種経費や決済手数料などは増税ということになるので、来年は商品価格の改定、若干の値上げをお願いしなければならない、と頭を悩ませているところです。そして、さらに気になるのが、数年後に導入が決まっているインボイス方式です。

 

今回の増税では、「区分記載請求書保存方式」というのが始まっているそうです。どの商品が消費税10%なのか、軽減税率の対象で8%なのか、明記することになっているそうです。「そうです」というのは、私は免税事業者なので、今のところ切り替える必要がないわけです。

 

ただ、この方式を土台にして、4年後に導入されるのが「適格請求書等保存方式〈インボイス方式〉」という仕組み。これは、消費税課税事業者にならないと発行できず、これを発行しないとお取引先は仕入税額控除ができなくなるそうです。つまり、課税事業者にならないと他人に迷惑をかけてしまうことになる訳です。

 

迷惑をお掛けするにとどまらず、インボイス方式の請求者を発行できない事業者とはお取引をしてもらえなくなる可能性が極めて高いですよね。私にも少数ですが、法人・事業者様向けの販売もあります。このお取引がなくなったらかなり厳しいので、考えざるを得ません。

 

軽減税率導入の裏側には、こんな仕掛けが仕込んでありました。言葉は悪いですが、「損して得取れ」っていうことでしょうか。たぶん、かしこいお役所のことですから、軽減する分がいくらで、インボイス導入によって増収分はいくら、って計算してあるのだと思います。

 

キャッシュレス利用によるポイント還元、低所得者や子育て世帯向けのプレミアム付き商品券の発行、レジシステムなどへの補助等、期間限定の補助事業に多額の税金を投入しています。私も、ポイント還元事業などは事業者としても消費者としてもその恩恵にあずかります。

 

ただ、これも、増税による社会変動を最小限に抑えるソフトランディング対策。いわば、さまざまな特典のある移行期間が終われば、増税という現実が残るのみ、ということになります。そこで、改めて思うのです。いったい何のために増税が必要だったのかということを。

 

私も漠然とは答えられます。高齢化による福祉や介護の費用が増えるから。子育て環境の整備、充実が必要だから、などなど。でも、今のままの福祉政策でよいのか、保育・教育政策でよいのか、今の政治からはその方向性がはっきりと見えてきません。何となく、惰性で「今よりも手厚く」っていう感じが伝わってくるくらい。

 

例えば、「教育費をすべて無償にする、そのためにはこれだけのお金が必要、ゆえにこれだけの増税が必要」、みたいな明快な提案と説明が全くなされていないのが、日本の政治の現状ではないでしょうか。何となく、増税。なぜ、消費税は10%なのか、真剣に説明してほしい、説得してほしい、一庶民として切実に思います。

 

そもそも、「国の財布にお金が必要ならば、まず支出を見直すべき」、これは大方の政治勢力の共通認識ではなかったでしょうか。ぞうきんを絞りに絞ってカラカラになって初めて、増税の検討をすべきだったはず。私は、今でもこの原点は忘れてはならないと思っています。

 

さらに、昨今は国民の格差が拡大し続けています。逆進性の強い消費税のあり方そのものも議論の対象とすべきだと、これは政治の現場を離れてから強く思うようになっています。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

     

 

 

 

 

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あれから10年

 

こさいたろうの視点・論点 0112

2019/09/26

 

 

あれから10年

 

 

※ 読者の方からのお便りから

 

> 鳩山民主党が自民党から政権を取ってから、昨日で10年が経つんですね… あの時は大きな期待を集めたのにねぇ… 10年、一昔と言いますが、本当に月日のたつのが早いですね… 当時の政権をとった時の幹部連も、今は表舞台からは消えてますしねぇ…

 

※ 小斉太郎からの返信

 

> あれから10年ですか。すっかり遠い昔になりましたね。私は、期待を裏切った民主党政権、とりわけ旧さきがけの面々の体たらくを目の当たりにし、国政に挑む決心をしたのでした。見事に散りましたが。あの時の反省がなされないことが、安倍自民党一強の継続につながっていると私は思っています。反省とは、あの時、政権を担った政治家の退場です。表舞台から、ではなく、舞台から去るべきだと、私は確信します。野田、菅の総理経験者をはじめ、枝野、前原、玄葉、岡田、安住など重要閣僚経験者…。

 

 

お便りを頂くまで、そのようなことは全く思い浮かびませんでした。このところ、この先どんなふうに生きていけばよいのか、そんなことばかりを考えており、過去を振り返る余裕が全くありません。情けないことですが、現実です。ただ、このように思い返す機会を下さり、ありがたいです。

     

 

振り返れば、あの時やろうとしてできなかったこと、たくさんあるはずです。特に、徹底した行政改革、税金の使い道をゼロベースで見直す、徹底した情報公開、これらは、今でも実現すべき重要政策なはずです。しかし、あの時に政権を担いながらできなかった人たちは、それら政策を捨ててしまったかのようです。

 

そもそも、それほど重要性を感じていなかったのかもしれません。地方政治でもよくありました。改革の必要性を唱えて当選する議員が、役人の皆さんに懐柔されて骨が抜かれてしまうこと。そのような人々をよく見てみると、結局は「借り物の志」を選挙向けに掲げているに過ぎないということが分かります。

 

さて、立憲民主党は、参院選で思うように党勢を拡大できず、逆に新興勢力・山本太郎グループの躍進を許したことなどをきっかけとして「永田町の数合わせにはくみしない」という方針を転換し、旧民主党勢力の統一会派結成に動きました。

 

「永田町の数合わせにくみしない」ことが希望だった同党ですが、我慢できず、またぞろ「政権交代」「安倍政権打倒」が目的化され、数合わせに走りました。それも、相変わらず方針変更の詳しい説明はありません。あの時の「反省」をしなくても居座れているので、説明なしでも許されると勘違いしているのでしょう。

 

格差拡大に伴い、弱者救済的政策が必要であるならば、政治家・官僚が身を切る改革を断行し、税金の使い道を抜本的に見直すことを避けては通れないはずです。国民に権力を与えられ、大きな支持を受けながら結果を出せなかった政治家は退場しなければならないと、私は強く思うのです。

 

それによって、新たに有能な人材が政界に投入されるのだと思うのです。安倍首相の政権運営、うまくいっている点もあるものの、それにまして大きな問題もたくさんあります。でも、それに切り込もうとしても「民主党政権に戻るのか」と切り返されてしまいます。首相も首相で大人気ありませんが、それでもぐうの音も出ないわけです。

 

今、野党の会派統一の過程でよくテレビニュースに出てくる枝野さん、野田さんはじめ、旧民主党政権時代の中心人物は、少なくとも第一線を外れ、新しい人たちに道を譲るべきではないかと、私は強く思います。「政権交代」が目的化しているような古い政治家にご退場頂き、新メンバーで「日本の針路」を設定すべきです。

 

早速、新国対委員長として安住氏が出てきました。キンキン声を張り上げてしゃべっている姿をテレビで見ると、やりきれない気持ちになります。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

 

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超高層都市・東京の未来

 

こさいたろうの視点・論点 0111

2019/09/25

 

超高層都市・東京の未来

 

このところ、ネットニュースを見ていると、いわゆる「タワマン問題」についての記事をよく見かけるような気がします。今は年に数回しか行かなくなってしまった東京ですが、高速道路から見える街の眺望は、超高層ビルの林立です。何度か見ているうちに、違和感すら感じなくなってしまいました。

 

振り返ると、私が港区議に初当選したのが1995年〈平成7年〉。この時、港区にある超高層ビルは赤坂アークヒルズだけだったような気がします。この24年の間に、港区は超高層の街に変貌しました。港区にとどまらず、湾岸各区から内陸部、周辺都市にも超高層開発は拡がり、今に至ります。

 

さらに、この間には、超高層の再開発にとどまらず、狭小な敷地についても国策により容積率が大きく緩和され、必ずしも周辺環境とは調和しているとは言えない中高層ビルが、まさに「雨後の筍」といった様相で林立していきました。既存住民からの問題提起もありましたが、あっさりかき消される猛烈な勢いだったと記憶しています

 

当時、私は急激に進行する高層化に懐疑的な立場で論戦していました。数十年後の姿をどう想像すればいいのか、ゴーストタウンにはならないのか、次の更新期にはどのように対応しようとしているのか、開発者も行政も誰も真剣に考えていないこと、議論がなされないことに大きな違和感、危機感を覚えていました。

 

当時、共産党以外で超高層型の再開発や急激な容積率緩和に疑義を唱える議員はごくわずかで、私は当時の区長から「小斉は共産党だ」と喧伝されたことを思い出します。しかし、私としては、共産党と同じかどうかなどは全く問題ではなく、港区のまちづくりはそれでいいのかという率直な思いからの言動でした。

 

また、私が議会で超高層型のまちづくりへの懸念を表明し続けることを知った森ビルの創業社長(当時)が、段ボールいっぱいの資料、ご自身の著述などを、便箋10枚にも迫る直筆のお手紙とともに送ってこられたこともありました。そこには、超高層まちづくりが絶対に必要だ、という信念がありました。

 

しかし、信念は感じられたものの、私には明るい未来を想起できるものではありませんでした。空に向かって新しい地面を作り、そこから得られる利益を配分することで超高層ビルを建てているわけで、結局は金もうけ優先ではないかと。次にやる時は、さらに空に向かって新たな土地を作るのかと。この答えは誰も示せていないはずです。

 

最近目にするようになったタワマンに関するさまざまなルポなどを見ると、結局、そのような未来に目をつぶり開発が続いてきたことが分かります。目先の利益を追求し、今儲かることを優先し、後は野となれ山となれ、私にはそんなふうに見えてなりません。

 

すべてを否定するものではありません。当時から変わっていません。しっかりとまちづくりの計画を立てて、必要なところに超高層の街ができてもいいとは思います。新宿副都心とか、丸の内とか。でも、やりやすいからと言って、海岸沿いなどを超高層ビルで埋め尽くして本当によかったのか、検証が必要だと思います。

 

私は、メリハリのある都市計画、既存の街並みを尊重したまちづくり、未来を見据えた持続可能な開発、などを訴えてきましたが、実は途中から敗北感でいっぱいになっていました。多勢に無勢、大権力に抗うことできず、何の力も発揮することができなかった責任を痛切に感じています。

 

もともと一地方議員にそんな力はない訳ですが、それでも、今の景観を形づくった責任の一端を担っているのだと思います。海沿いに所狭しと立ち並ぶ高層住宅を見て、六本木を中心に至る所に聳え立つ超高層ビルを見て、その行く末をどうしても想像できない自分がいます。

 

今や、山河を眺めて生きる者として、山河の恵みを分けてもらいながら生きる者として、平成時代に憑りつかれたように進められてきた超高層型のまちづくりは、少なくとも持続可能とは言えないと確信します。この数十年のまちづくりを反省し、新たな日本の生きざまを模索する必要があります。

 

参考資料

2022年、タワマンの「大量廃墟化」が始まることをご存じですか(週刊現代)

https://news.livedoor.com/article/detail/17119357/

タワマンの「一斉老化」が止められない(現代ビジネス)

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56992

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

     

 

 

 

 

 

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「政治を捨て白州の大地に生きることを選択した友人の生き方」… 先輩のブログより

 

こさいたろうの視点・論点 0110

2019/09/02

 

「政治を捨て白州の大地に生きることを選択した友人の生き方」… 先輩のブログより

 

先月、ある先輩から連絡が来ました。「ブログに農業のことを書くんですが、こさい君のことに触れてもいいですか?」という内容。断る理由もないので、「いいですよ」と返事をしました。後日、「水曜日にあげましたが、ブログみていただけました?」とのご連絡を頂き見てみると、農業のことでなく「私への叱咤・激励」の内容でした。改めて、自らの来し方行く末を考えさせられました。

 

森本尚樹さん。早稲田大学の先輩で、新聞記者生活17年の後、徳島県議を約20年務めた方です。私の地方議員歴とほぼ重なります。みんなの党所属時に、知り合いました。みんなの党に賭け、その後失望に至ったところも似ています。

 

さすが元新聞記者さん、の巧みな文章。気恥ずかしい部分あり、ちょっと事実とは異なるなぁというところも若干あるのですが(お届けしている野菜とたまごはほぼ私の仲間が生産したのもの、というところなど)、政治の世界で最初で最後の挑戦と決めた戦いに負け、山梨に来た原点を思い返させてもらいました。

 

二年前、農業生産を生計の中心とすることは諦め、農産物販売とそれが軌道に乗るまではアルバイトで補うという生活をしています。でも、今、もう一度、農業生産も拡大しようと考えるに至っています。無理なく、できるだけ楽しみながら、もう少し大きく、もしかしたらできるのではないか、そんなふうに思いを巡らせています。あとで森本さんの文章に出てきますが、「真っ直ぐなきゅうり」をつくらない生き方を模索できないか、という思いです。

 

そんなふうに考えている時に書いて頂いた文章なので、森本先輩の許可を頂き、今回の「視点・論点」に掲載させて頂くことに致しました。ぜひご一読下さい。

 

政治を捨て白州の大地に生きることを選択した友人の生き方

森本尚樹の”社会面の作り方” より

 

憧れるのはた易いが、素人の挑戦は跳ね除ける農業という仕事。

土に戯れ、太陽に戯れ、大自然を相手に仕事をするのが農業だ。

こんな生き方に憧れる人は多い。しかし一朝一夕にはいかないのも農業。

大人になってから初めて取り組んでも、苦労するだけかもしれない。

 

私の後輩の小斉太郎君は東京都港区で区議会議員をしていた … … …

 

http://bit.ly/2ZKTy2K

↑ 続きはこちらよりお読み下さい <m(__)m>

 

     

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)