今年の政界の行方 過去を思い返して

大惨事が続いております。平穏な日々が戻るよう祈るばかりです。

2011年 東日本大震災の時も、菅直人首相などの外国人献金問題をきっかけに解散が取り沙汰されていたところでした。もちろん解散はできなくなり、菅政権、民主党政権は本性をさらし、自民党の政権復帰につながりました。

1995年 阪神淡路大震災の時は、自社さ政権にあぐらをかく社会党左派に失望した同党右派 山花氏などが集団脱党を準備していました。その日に震災が発生し、取りやめになりました。その後、村山首相は政権運営の自信を失い、自民党ほぼ単独政権に戻ることになりました。

今回の震災により、過去と同様、解散は少し遠のいたように思います。ただ、岸田政権の能力のなさはますます露呈し、政界はますます混とんとするはずです。

1993年、政権交代の歴史。リクルート事件に端を発した政治改革の機運、自民党一党支配崩壊劇の最も注目しなければならない事象は、それまでの政界にしがらみのない「日本新党の出現」、その動きに触発されて生じた「自民党の分裂」だと私は思っています。

これからどのように推移するのでしょうか。
主権者たる国民は、厳しく注視する必要があるはずです。

小齋 太郎(こさいたろう)

新年のご挨拶 〈令和5年 2023年〉

 

あけましておめでとうございます

 

旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました

本年も、何卒よろしくお願い申し上げます

昨年も、多くの皆様に私どもの農産物をお届けすることができました。誠に有難く、心より感謝申し上げます。また、野菜たまごBOX 甲斐駒の恵み の生産者の皆さんは、例年通り、質の高いオーガニック野菜や平飼いたまごを生産してくれました。いつも同じように生産することは、想像以上に難しいことです。それを淡々とこなしている仲間に私は心から敬意を表しています。本年も、新鮮で質の高い、安心して食べて頂ける野菜やたまごを皆様の食卓にお届けして参ります。引き続きましてご愛顧賜れば幸甚に存じます。

一方、私 小齋太郎の耕作は試練の年でした。春には田植え機が壊れ、夏には病で伏せってしまい雑草処理が間に合わず、秋の収穫期にはイノシシ、サル、ネズミ、野生動物による被害が相次ぎました。正直、かなり参りました。今後の営農は継続できるのか、真剣に悩み、今に至っています。ただ、今年にすぐ行き詰まってしまうわけではないので、無い頭を捻りながら、今年も頑張ります。

昨年末は東京で、3年ぶりに望年会を開催いたしました。時節柄もあり4回に分けて開催し、30名を超える皆様にお集り頂きました。久しぶりに旧交を温め、リアルに交流することの楽しさを実感いたしました。写真は、会場の一つだった新橋の鰻老舗「鳥かど家」さん前での息子の記念写真です。嬉しくて少しはしゃぎすぎ、三が日は寝正月になってしまったのが誤算でしたが…。今年は、しばらくお休みしている「白州の味を楽しむ会」もやってみたいと目論んでいます。定期便のお客様とリアルに交流できる会にできればと思っています。

父子生活も7年目。大晦日、正月の食事をチャチャっと作りました。我が家の雑煮、筑前煮、好きなものだけのおせち〈並べるだけ〉、刺身〈切るだけ〉という感じです。少しだけ手早くできるようになりました〈自画自賛ご容赦を 笑〉。玄関の松飾は、今年も懇意の大工さんに頂戴致しました。冒頭の写真です。古家には不釣り合いですが、素敵です。

冬の畑にはにんにくと玉ねぎ。無事に冬を超えてくれるよう祈っています。

遠い春が待ち遠しいこの山里で、今年も頑張ってみます。

変わらぬご厚誼を賜れば幸いです。

小齋 太郎

児童手当と収入の関係

 

こさいたろうの視点・論点 0174

2021/02/11

 

児童手当と収入の関係

 

児童手当。私も頂いております。毎月1万円。年3回、40,000円ずつが振り込まれます。お金に行き先は書いていないのですが、私の感覚としては、主に食費に充てさせてもらっています。率直に、大変助かっています。最低限の生活を支える貴重な財源になっています。

 

息子が生まれた時は、区長選落選時の浪人、4年間区議に戻り、その後2年半は国会議員を目指し浪人、落選後は、ほぼ最低賃金の労働者となり、農産物販売業・新規就農者として今に至ります。つまり、息子が生まれてから多くの期間はいわば低所得者であり、児童手当によって助けられてきました。

 

つまり、私にとっての児童手当は、福祉的側面を強く感じるお金でした。しかし、一方で、「そもそも児童手当は子どものためのもの。親の収入に関係なく、平等にして欲しい」という声があることも事実です。たしかに、そういう考え方もできます。問題は、児童手当を給付する目的は何か、ということになります。

 

10年ほど前の民主党政権の時は、子ども一人ひとりに平等に支給するとして、所得制限を外し、すべての子どもに「子ども手当」を支給したと記憶しています。しかし、自民・公明などの反発により、所得制限付きの現行制度に変更された経緯があります。自民党のホームページには、今でも以下の記載があります。同じ手当でも、その目的が大きく変容したわけです。

 

『所得制限を設けることにより、民主党の「子どもは社会で育てる」というイデオロギーを撤回させ、第一義的には子どもは家庭が育て、足らざる部分を社会がサポートする、という我が党のかねてからの主張が実現した。』『所得制限を年収960万円程度とすることによって、高所得世帯の給付を制限するとともに、子育て支援がより必要な世帯への重点配分が実現された。』

 

現在の児童手当。中学校卒業までの子ども1人につき原則月1万円(第1子・第2子は3歳未満、第3子以後は小学校卒業まで月1万5000円)を支給するもの。所得制限があり、「夫婦のうち高い方の年収」が960万円程度を上回る世帯には児童手当は支給されず、代わりに「特例給付」として年齢・人数にかかわらず子ども1人につき月5000円が支給されています。

 

このうち、高所得者向けの「特例給付」について、年収1200万円以上の世帯は廃止する方針を盛り込んだ児童手当法などの改正案が閣議決定されました。ただ、世帯主の年収で判断する制度だそうで、夫婦がそれぞれ1000万円の収入の場合は至急が継続されるなど、早くも制度の不備が指摘されているようです。

 

私は、現金給付は低所得者を下支えするために活用されるべきで、子どもを持つことを理由にした高額所得者の所得移転は不要だと思います。共働きでも子育てしやすい社会をつくるには、現金給付が得策ではないように思います。もっとシンプルに、安心して子どもを育てられる社会を作る仕組みを考えるべきだと思います。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

 

河井案里という人

 

こさいたろうの視点・論点 0173

2021/02/10

 

河井案里という人

 

河井案里氏が参議院議員を辞職しました。ようやくと言っていいかもしれません。でも、辞職した日に発表された書面では有罪判決について「納得しかねる」と記されているそうで、そうであるならば最後まで裁判で争い、真相をすべて明らかにする努力を最後まで続けるべきだったのではないでしょうか。

 

書面では、「これ以上争いを長引かせ、混乱を生じせしめることも本意ではない」と控訴見送りの理由を語っているようですが、争いが長引き混乱するのは果たして誰なのでしょうか。多くの国民は混乱などせず、むしろ真相究明を求めているはず。本当のことを言って大混乱が起きるのは、配った金の出どころである自由民主党ではないでしょうか。

 

なぜ、河井案里氏にのみ1億5千万円もの政治資金が自民党本部から交付されたのか。もう一人出たベテラン現職議員には1500万円だったそうで、報道によればその額の方が一般的とのこと。いずれにしても、このうちの1.2億は税金が原資の政党交付金だそうで、自民党本部、つまり菅首相や二階幹事長は党支部のカネの流れを説明する責任があります。

 

しかし、河井夫妻同様、全く説明する気はないようです。河井夫妻は、検察当局に関係書類を押収されたことを理由に、政治団体収支報告書の収入総額、支出総額、寄付などを「不明」と記載しているそうですが、私の記憶では、党本部から交付された党支部の資金の使途は党本部にも報告しているはず。ですから、自民党本部は部分的であっても説明できるはずです。

 

世論の多くは、これまで長きにわたり議員を辞めず、再屋や手当をもらい続けたことへの非難が渦巻いています。私も同様に憤っています。しかし、それ以上に、他人事のようにふるまっている自民党本部の姿勢がおかしすぎます。河井案里氏が控訴を断念し、国会議員を辞めたとしても、公党として、元所属議員の犯罪について説明を尽くすべきです。

 

議員も、議員が集まって構成される政党も、公僕であります。特権階級の人間ではありません。議会という言論の府で、国民に対して説明を尽くし、どんな質問にも答える義務があるはずです。捜査や裁判を言い訳に口をつぐむのは、自らの有利・不利しか考えていないということ。そういう政治家が一掃される社会はいつ来るのでしょうか。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

 

森喜朗という人

 

こさいたろうの視点・論点 0172

2021/02/09

 

森喜朗という人

 

会長の森喜朗さんは83歳だそうです。事務総長の武藤敏郎さんは77歳。元総理大臣と元財務事務次官。2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会のトップ2。政官のトップを極めた者が、引退後に再登場。それだけで、利権の匂いを感じずにはいられませんでした。そもそも、このような人事を許してきた日本国民にも少なからず責任があるように思います。

 

そして、森氏。相も変わらずといいますか、いつもの通りと言いますか、また酷い発言を世界に晒してしまいました。女性がたくさん会議に入っていると時間がかかる、と。海外では、性差別発言として一斉に非難報道がなされており、本当に恥ずかしい限りです。加えて、「コロナがどういう形であろうと必ずやる」発言も、海外では驚きをもって伝えられました。

 

日本人は、少なくとも森氏が首相だったころを知る世代の日本人は、森氏がこういうことを言う人物だということを知っているはずです。「子どもを一人もつくらない女性が、自由を謳歌し楽しんで年取って、税金で面倒見なさいっていうのは本当はおかしい(西日本新聞:2003年7月3日より)」などと発言している過去と何も変わっていません。

 

嘘を言っていないのだと思います。思っていることをそのまま口にしているのだと思います。日本を神の国、って言ったり、浅田真央選手に対して「あの子、大事な時には必ず転ぶんですよね」って言ったり、「私はマスクをしないで最後まで頑張ろうと思うが、選手は気をつけてほしい」って言ったり。本音なんですよね。だから大問題なわけです。

 

森氏を会長にしたのは誰なのか。2014年1月、産経新聞には、「下村博文五輪担当相と日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長、東京都の秋山俊行副知事が都内で3者会談を行い要請を決め、森元首相が受諾した。」とあります。当時の安倍首相の意向も大きかったことでしょう。この立場の方々、今度はお辞め頂くように動くべきです。

 

ご自分ではお辞めにならない様子です。「皆さんが、邪魔だと言われれば、老害、粗大ごみになったのかもしれないから、そうしたら掃いてもらえればいいんじゃないですか」と会見で言い放ったようです。もう怖がらず、みんなで掃いて差し上げましょうよ、と思います。本音を言う森さんに、本音をお伝えすべきだと思います。

 

その上で、本当に東京五輪ができるのか、開催していいのか、開催するならそんな形がありうるのかも含めて、真面目に議論すべきだと思うのです。さらに、日本の偉い人の決め方を根本的に改めるべきだということを森さんは教えてくれているのだと思うべきです。ご老人でなく、脂の乗り切った働き盛りの世代が表舞台で活躍できる社会を日本でも作るべきです。

2021/2/4記

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

国会議員が銀座の高級クラブに行くカネの出どころ

 

こさいたろうの視点・論点 0171

2021/02/08

 

国会議員が銀座の高級クラブに行くカネの出どころ

 

私も若い頃、盛り場の常連でしたので、そのことについてとやかく言える立場にはありません。銀座には自分ではいけませんでしたが、渋谷や六本木のそんなにお高くないお店にはたまに行っておりました。今考えれば若気の至りというか、何がそんなに楽しかったのだろうとも思いますが、自らの足跡を消すことはできません。もっと堅実に生きればよかったな、と思いますが後の祭りです。

 

ただ、先日明らかになった国会議員の「深夜の銀座のクラブ訪問」については、ちょっともう、開いた口が塞がらない、としか言いようがないと思います。緊急事態宣言下、バレた後も嘘をついていた、というのは多くの指摘通り言語道断です。この一点のみをもってして、政治家を退くべきだと思います。その上で。

 

国会議員、銀座のクラブに通い詰めるカネはどこから出ているのかなぁ、というのが率直な私の疑問です。変な話ですが、麻生太郎氏のようにもともと大金持ちの人であればポケットマネーということで納得せざるを得ないですが、件の「自民党のマツジュン」こと松本純もともとの大金持ちではなさそう。麻生派だから、麻生さんが面倒見てるのか。それとも、他に財布があるのか。

 

同時に別件として「高級クラブ訪問」を週刊誌報道され、議員辞職したのは公明党の遠山清彦氏でありました。自民党議員と比較すれば議員辞職しただけ潔いともいえますが、こちらは政治団体の財布からキャバクラ代金が支出されていたそうです。これも許されるものではないわけですが、政治活動のお金を充てざるを得ない財布事情だったと推察はされます。

 

私は、二つあやしい財布があるのではないかと推察しています。一つは、実質的な闇の献金。請求書が他のところに回っているのではないかと。世話になっている何者かが、松本純議員などの与党国会議員の飲み食い代を肩代わりしている可能性があるのではないかと。私が政治の世界に足を踏み入れたころは、当たり前のように行われていました。何も変わってないのかもしれません。

 

あるいは、内閣官房機密費。その多くを内閣官房長官が差配するそうです。私はその昔、それが保管される金庫を官邸で見たことがあります。そして、故塩川正十郎元官房長官が言っていたように、国会対策に使われていたとも聞いたことがあります。松本純氏は、まさに国対族と聞きます。機密費が国会対策として回されていた可能性は否定できないと思うわけです。

 

いずれにしても、日本の政治は何も変わっていません。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

 

東京五輪、本当にやる?できる?

 

こさいたろうの視点・論点 0166

2020/12/23

 

東京五輪、本当にやる?できる?

 

僕はそもそも、2020年の東京五輪開催について積極的に賛成はしていませんでした。開催に賛成していないというよりも、招致活動を始めると聞いた時からモヤモヤしていました。一度落選後、再挑戦で開催決定。その時には「コンパクト五輪」がコンセプトで開催予算は7300億円だったのに、その後3兆円を超えるまでに膨れ上がっていきました。

 

明確な根拠があったわけではなく、後から言うのも気が引けますが、東京が再び五輪に手を上げると耳にした時から何となく予測できたことです。さらに言えば、開催決定後、大会組織委員会の会長に元首相・森喜朗氏、事務総長に元財務事務次官・武藤敏郎氏が就任した時点で、利権の匂いが一気に立ち込め、際限なき予算の膨張に進みました。

 

トップアスリートたちが集い、正々堂々と戦い、世界最高峰の技を競い合うというオリンピック、パラリンピック。青空が最もよく似合うわけですが、2020東京オリパラのトップ2は功成り名を遂げた二人のおじいさんで、再び表舞台に出てくるお歳でもなく、とても青空の下の清々しさが感じられないのは私だけでしょうか。

 

ただ、開催決定後は、ことさら「賛成でない」ことを口にすることはしないようになりました。政治家を離れ影響力も何もないということもありますが、そんなことよりむしろ、決まったのだからそれならば、多くの人が胸を躍らせ、成功するに越したことはないと考えるようになっていました。しかし、大会半年前、今年の冬から新型コロナウイルスが世界中に蔓延してしまったのです。

 

3月、安倍首相とバッハIOC会長との電話会議により開催延期が決定され(これも少しおかしいのですが)、遅くとも2021年夏までに開催することになりました。その後、菅内閣もこの決定を踏襲。12月21日、菅首相は「来年の夏に人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証として東京で五輪・パラリンピックを開催する」との決意を改めて示したとの報道がなされました。

 

来年の夏に打ち勝てるのか。僕の素朴な疑問です。世界中からアスリートやお客様を呼べるのか。その準備ができるのか。もしかすると劇的に環境が好転することがあるのかもしれませんが、それならその青写真を示すべきではないのか。そもそもこの言い方なら、打ち勝てなかった場合は開催しないのか。きちんと、丁寧に、日本国民のみならず全世界に向けて説明する必要があります。

 

新型コロナの蔓延で会食も移動もままならない現状では、国民の声に耳を傾け、五輪開催の可否、是非を再考するべきです。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

金を配る政治

 

こさいたろうの視点・論点 0165

2020/12/22

 

金を配る政治

 

前号で取り上げましたが、河井夫妻が現金を配り歩いていたことは衝撃的でした。配るお金の一部が自民党本部からやってきたのか、それを自民党本部側は知っていたのか、つまり二階幹事長をはじめ、安倍総理や菅官房長官が関わってはいなかったのか、徹底的に調べるべきと思いますが、内部調査もせず、検察もそこまでは切り込まないようです。

 

昭和、平成を経て、令和の世となりました。私は3つの元号を生きる日本人となりました。小さな子どもには、明治生まれのおじいさんのように思われる時が来るのでしょう。そんな昭和の時代、金権政治の打破が叫ばれ、平成が始まった頃、新しい政治勢力が生まれ、自民党は分裂し、新しい政治の幕が開きました。そんな時、私はその世界の末端に身を置いていました。

 

当時は田舎ではまだまだ、選挙になるとおにぎりなどの食事がふるまわれるような時代でした。私は東京でしたのでほとんど経験しませんでしたが、こんな話を聞いたことがあります。ふるまわれるおにぎりには、海苔が巻いてあるものと巻いていないものがあり、みんな海苔のない方を食べ、海苔の方は持って帰るのだとか。海苔の方にはなかに現金という具が入っていたそうです。

 

そんな時代でした。私自身も少ないですが、政治と金にまつわっていくつかの経験をしています。

 

地方議員になってすぐのころ、ある選挙に関してある候補者を応援してほしいと頼まれました。私は、政策協定を結べるならば前向きに検討すると伝えました。当時20代半ばの若者に長老議員は内心激怒しながら、厚い封筒を差し出しました。20だったと思います。領収証を書いて受け取れ、と。もちろん断り席を立ちましたが、その金の出どころはどこだったのか。

 

こんなこともありました。新興政党から都議、国会議員へと上り詰めたある政治家。

 

そんなに親しいつもりではなかったのですが、相談事がある人がいるので会ってほしいと連絡がありました。内容は、役所との契約の相談で、話の終盤に厚い封筒が出てきました。むちゃくちゃ分厚くて、驚きました(商品券だったからなのですが)。もちろんつき返し、抗議の電話をその人に入れました。その人、今も野党でそこそこのポジションにいます。だから、野党も信頼できません。

 

引退した長老政治家から訪ねられたことがありました。

 

区長選挙に落選し、熟慮の末、もう一度区議選に出馬していた頃。ある長老政治家に呼ばれ、話をしました。僕としては敬意を表してご挨拶のみのつもりでしたが、その後も会いたいと頻繁に電話が。お断りしていると自宅に突然来て、厚い封筒を受け取れと。私は不在で妻が対応、妻からの電話に「絶対受け取らないでくれ」と。あとで妻から「嫌な役をさせられた」と嫌味を言われましたが。

 

最後の話も野党系です。与野党関係なく、金を配る政治を受け入れたことのない、根絶できる政治家が必要です。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

河井事件と菅首相(指導者の資格)

 

こさいたろうの視点・論点 0164

2020/12/21

 

河井事件と菅首相(指導者の資格)

 

菅首相、GO TOキャンペーン一時停止の遅れに加え、銀座でのステーキ会食に参加したことも打撃となり、支持率が大きく下がっているようです。突っ込みどころ満載で、かばう言葉が見当たらない状況です。なぜ、会食に参加したのでしょうね。本人の口からの説明はありませんでした。国民との信頼関係がボロボロと崩れていくように感じます。

 

僕は、今や国会議員の多くが、普通に暮らす人々と別世界で、全く違う感度の中で生きているように思えてなりません。大人数での会食は控えて、と言いながら自分たちは特別なわけですよね。その中には残念ですが、王貞治氏や杉良太郎氏、みのもんた氏も含まれてしまうわけです。

 

昔、聞いたことがあります。太平洋戦争も敗色濃厚となる戦争終盤、庶民は食べるものがなくなり大変な思いをしていた頃、列車の一等車に乗車している高級将校ら軍人たちの食事には、米も肉も魚も酒もふんだんに供されていたのだとか。知らず知らずのうちに、そんな時代に近づいているように見えてなりません。

 

菅政権の本質。否、菅政権にとどまらず今の自民党の体質。否、小選挙区制度下で胡坐をかく野党も含めて、普通に暮らす国民が信頼を寄せられる政治というものが、どんどん遠ざかっていくように感じます。僕が最もそれを感じているのが、タイトルにもした「河井事件」です。金を配って歩く姿を想像すると、おぞましいばかりです。

 

金を受け取った数多くの地方議員も同罪。国会議員に言われたから仕方がない、という向きもありますが、それは違います。会社ではないから上下関係はありません。金を受領したことを認めて辞任した政治家を僕は評価します。四の五の理由をつけて国会議員に居座り裁判を受けている河井夫妻は言語道断です。

 

そして何より、河井夫妻は離党したからと頬かむりを決め込む自民党、安倍前首相、菅首相、これが今の政治の体質を物語ります。政治の体質は社会の空気となり蔓延します。疑惑があっても説明しなくていい、権力者は謝る必要がない、一般人はおかしいと思っても何もできない、むしろ権力者に取り入りオイシイ思いをできる側に近づきたい…

 

当時の安倍首相に批判的な溝手議員を落とし、子飼いの河合氏を広島の参院議員にしたかったわけで。だからこそ、わかっているだけで自民党本部が1.5億円もの金を投入したのでしょう。安倍事務所から多数の秘書も投入され、当時の菅官房長官が何度も応援に入ったと。結果、溝手氏が落選し河合氏が当選しました。

 

その河井夫妻が現金を配っていたわけです。安倍氏からも菅氏からも、説明も謝罪も、あるいは弁解も何もないわけです。選挙で金を配るという、経験者の私からすれば最もアンフェアな行為。これを結果的に認めている人々に指導者の資格はありません。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

コロナ禍・雑感

 

こさいたろうの視点・論点 0163

2020/12/20

 

 

コロナ禍・雑感

 

> 東京をはじめ全国的に陽性者が増えていっていますね。ただ、検査数が増えているのだから陽性者数も増えて当たり前ですし、医療のひっ迫も指定伝染病のままだからですよね。何故その辺を科学的に解説する報道や専門家の分析がないことが不思議です。小斎さんの見解はいかがですか。

 

先日、東京の先輩よりこのようなメールを頂きました。よい機会なので、久しぶりによく考えながらご返信させて頂きました。

 

コロナについて。検査数が増えれば陽性者が増えるのは当たり前ともいえますが、その割合が増えている、ということではないのでしょうか。よくチェックしていませんが。いずれにしても、ちょっと収まった感じになれば、もう大丈夫という国民が増えて、気が緩み、感染が再拡大する、一歩間違えれば感染爆発につながる、それを危惧する国民が多い、ということではないかと思っています。

 

また、もしも感染して重症化した場合、必ず治してほしい、死にたくはないという国民が多いことも、病床数のひっ迫を過度に心配する報道が多いことと関係があるように見ています。報道が偏向していたり、政治・行政が的外れな行動をしたりしているのではなく、良くも悪くも、多くの国民の思いが報道や政策につながっているように捉えています。

 

GO TOトラベルなどは、経営危機の宿泊業界や補助金で安く旅行ができる消費者は大歓迎な一方、重症化リスクの高い高齢者などの一部は逆に大反対。感染状況が収まってくれば前者の割合が拡大し、その結果(かどうかはわかりませんが)、感染拡大して来れば後者の声が大きくなる。そんな綱引きが続いているだけのように思います。

 

たしかに、仰せの通り、科学的に解説する報道や専門家の分析がないことが不思議ですが、これも多くの国民が求めていないことに、結局は起因するように感じます。

 

では、どうすべきか、答えを出すのは非常に難しいですね。日本だけでなく、世界中がほぼ同じような状況におかれているわけで。ワクチンや特効薬ができても、また新しいウイルスがはびこらないとも限りません。私たち(人類)はどのように生きていくべきなのか、大げさでなく、突き付けられているのだと思います。

 

今やるべきことは何か、いつも考えて生きております。当然、答えは出ませんが…

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

 

 

 

地方議員の選挙を改めて考える

 

こさいたろうの視点・論点 0162

2020/12/15

 

地方議員の選挙を改めて考える

 

去る11月15日、私の住む北杜市の市長選挙と市議会議員選挙がありました。前回選挙は私が転居する前でしたので、初めて投票することになりました。市長選挙は107票差の大激戦でした。市議選は20議席に対し21人の立候補、前期に居住実態を問われた現職議員が一人落選という無風選挙の様相でした。

 

北杜市に住んで3年半になりますが、政治に関心を寄せる時間もなかなか取れず今に至っております。ラジオ・テレビ・新聞など国政あるいは一部県政の情報は得られますが、北杜市政がどんなふうに動いているのか、ほとんど情報がありません。市議会だより的なものはたまに見ますが、その程度。選挙前まで、僕が見聞きできる議員からの発信はほぼ皆無でした。

 

結局は、選挙前に市政の課題を比較的詳しく解説したチラシをポストに残してくれた方に投票しました。課題についてのご自身の考えなども記されていて好感が持てました。でも、本当にこの程度の選び方でいいのか、自分自身としては納得してはいません。主義主張も大切ですが、まずは開かれた議会を体現できる人材が必要に感じます。それを探す術がないわけです。

 

今回の選挙で北杜市長も新しい人に代わり、市長・市議とも次の任期4年、どのような市政が展開されるのか、できる限り注視してみたいと思っています。もっともっと、立候補している人が何者なのか、何をしてきて、何をしようとしているのか、さらけ出され、比較して選べる選挙になるべきです。ただ、注視するためには自らに余裕を作ることが必要で、それが一番の課題となります。

 

さて、北杜市で選挙があったことから、他の地域の選挙にも久々に目が向いていました。一つ目はお近くの南アルプス市議選。実は、子どもつながりでお知り合いのお父さんが突如立候補していました。短期間、市長に乞われて市役所にお勤めの時にひどいことがあったらしく、市政刷新を訴えていました。ポスターを一人で貼る以外は外に出ず、ネットで政策等を発表し、電話やメールで選挙活動をしていたようです。僕が知っている「普通」では、失礼ですが、こういう人は泡沫候補。結果は、最下位当選者950票に対して691票、善戦でした。

 

また、つくば市でも、ネットで政策等を発表し、選挙期間中は街宣活動など一切なし、たすき姿でゴミ拾いを続け、4218票の3位当選。こちらの方はネットで見つけただけで面識はないのですが、先に紹介したお父さんとは違い、数か月前に決意し、それなりの準備は重ねた様子でした。それにしても、僕の「常識」では全く推し量れない結果です。「人と会い、支援をお願いし、握手して別れる、これが選挙の鉄則」、と教わって初めての選挙に出ましたから。その後、政策本位の選挙をできる限り具現化してきたつもりですが、それでも「鉄則」は常に念頭にありました。時代は変化してきているのだと、痛感させられました。ただ、このお二人には共通点がありました。東京大学ご出身です。これも人々の投票行動に影響を与えるものなのか、興味深いところです。

 

ご紹介した市議選のことや、北杜市長選挙のことも、近いうちにもう少し掘り下げて取り上げてみたいと思っています。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

22年目の廃車

 

こさいたろうの視点・論点 0161

2020/12/14

 

22年目の廃車

 

1998年12月、スズキ・エブリという軽のワンボックスを新車で購入しました。その車に音響設備を搭載、屋根上にも上れるように梯子もつけてもらいました。以降、2013年まで、街宣車として活躍してくれました。2013年の8月に屋根上の設備を撤去し、山梨転居後の生活の足、作業車として働いてくれました。

 

この車、とうとう手放すことになりました。息子が18歳になるまで、あと3年半、練習用に残すことも選択肢でした。しかし、走行中にエンジンが止まりそうになる不具合が生じ始めました。12月車検を控え、信頼を置いている修理屋さんに診てもらったところ、修理に20万円以上かかるとのことで、廃車を決断しました。

 

22年間、よく走ってくれました。15万キロ以上走りました。これぞ日本車だと思います。おそらく直せば走れるはずです。ただ、年々故障が増え、修理代がかさむことを考えると、寂しいですがここが潮時と考えました。3年半後、息子の練習用はもっと安く買えるはずですし。

 

幼いころは街宣車時代のコレでスーパーに買い物、中央高速で山梨・東京を行き来し、どこに行くにもこれに乗っていた息子。2年前は手放す相談をした際に号泣して残したいと懇願しましたが、今回はあきらめてくれました。おそらく心中は変わっていないと思いますが、成長したのだと思います。思い出深い愛車よ、さようなら。

 

私は、新しいモノがどんどん出てくる時代を過ごしてきました。特に、機械ものは数年で部品の供給がなくなることもあり、故障したら新しいモノを買わざるを得ない事情もあります。でも、22年同じ車に乗り続けてみて、「手に入れたものを長く大切に使う」といった価値観の大切さを改めて感じています。

 

地球の物質からモノを作り、モノを売り、モノを買い、モノを捨てる、こういうサイクルで社会が成り立ち、経済が回り、人類は発展してきました。人々の探求心や好奇心、欲望の先に、人類の発展があることも事実です。ただ、社会の歪みが顕著になってきている今、歩みを緩め、自らを見つめなおすことも必要ではないでしょうか。

 

自動車で言えば、世界で2030年ガソリン車全廃が目標となる時代になりました。驚くべきことです。文明史的大転換の時代を私たちは生きています。自動車のあり方が新しくなることとあわせて、私たちは新しい価値観に基づく、新しい生き方を模索すべきなのだと思います。その方向を示すことこそ、これからの政治に求められる役割です。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

コロナ・第三波

 

こさいたろうの視点・論点 0160

2020/12/13

 

コロナ・第三波

 

ニュースを見ると、新型コロナウイルスの感染拡大が続いてしまっているようです。困ったものです。世界中の偉い人や頭のいい人たちもいまだ手をこまねいている様子で、解決に向けた決定打はしばらく出てこなさそうです。予防をしっかりしていれば大丈夫な気もしますが、毎日発表される数字を見ると、やはり気になってしまいます。

 

「ようです」と伝聞調で書いたのは、山里で私のような生活をしていると、コロナ禍であることを実感することが少ないからに他なりません。農作業も他の仕事も一人仕事がほとんど、たまの打ち合わせや買い物などの時以外はマスクはつけません。山里は、コロナ前と全く変わらない風景が広がっています。

 

でも、よく考えればやはり気になります。かかってしまったら、重症化や死への危険も高まるわけで。私は、HbA1cが6.5くらい、血圧は160-100くらい、わかる方にはわかると思いますが、糖尿病、高血圧症で軽めの薬を飲んでいます。なので、コロナ感染による重症化リスクは高いそうで、怖さがあります。

 

また、販売も農業も一人仕事のため、そして何より父子家庭のため、私がコロナにかかったら生活が立ち行かなくなります。息子も中学生ですし、母親も祖父や祖母も健在なため何とかなるとは思いますが、できれば罹患せずに変わらぬ生活を送りたいです。なので、できる限り気を付けて生活しようと思っています。

 

さて、翻って、これから社会はどうあるべきなのでしょうか。僕はまず、前回の緊急事態宣言下の感染者の数値に注目しています。あの時、ほとんどの日本人はステイホームでした。そして、感染者は劇的に減りました。人が動かなければ、うつしうつされるリスクは減るわけです。また、何度かGO TO EATしましたが、酒を飲むと気が大きくなり、緩みます(人によると思いますが)。

 

でも、だからと言って、春のステイホームを再びお願いできるでしょうか。そうなれば、今度こそまず飲食店が立ち行かなくなり、日本経済への大きなダメージも避けられません。コロナをある程度抑え込めたとしても、経済的状況が原因となり死者が増えたり病気の人が増えたりしては、元も子もありません。

 

単に「外出抑制」や「飲食店の営業時短」を求めるだけの対応には限界があるのではないでしょうか。仮に感染者数が一時的に減っても、解除されれば元に戻ります。緩みます。この一年繰り返しています。大多数の飲食店でコロナ感染が起きているわけではないこと、冷静に考えれば気付きます。

 

一人ひとりが感染拡大防止の行動をとり、いつもよりは外出や会合を控えれば、感染を相当程度抑えることができるのではないでしょうか。つまり、私たちの自覚が問われていると思うのです。GOTOキャンペーンを推進している政府も問題ですが、それを使うか使わないか、使うならどんなふうに使うのかという、主権者としての判断や行動こそ問われています。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

 

モヤモヤが消えない GO TOキャンペーン

 

こさいたろうの視点・論点 0158

2020/09/25

 

モヤモヤが消えない GO TOキャンペーン

 

今年の9月は4連休になりました。私は、地域の子ども会の行事が一つあったくらいで、あとはいつもと変りない毎日を過ごしました。ただ、近所はまあまあの観光地でもあり、コロナ前までとはいかないまでも、他県ナンバーの車をたくさん見受けました。ニュースでは、中央高速の渋滞を毎日報じていました。

 

ニュースでは、全国各地、かなりの賑わいとなっていることを伝えていて、飲食店や土産店の方々の安堵したような声でインタビューに応じていた姿が印象的でした。当地でも、道の駅などでの農産物販売が主な収入源の生産者の皆さんなどは、歓迎していることと思います。

 

でも、この連休の様子を見て、私は春のお彼岸のころを思い出しました。あの時は、安倍首相が2月の終わりに数週間我慢して、と言ったその期間が過ぎ、暖かくなり、過ごしやすくなり、桜も咲き始め、たくさんの人が外出しました。小池東京都知事も、「感染爆発・重大局面」と叫ぶ直前で、鳴りを潜めていた時でした。

 

その後、感染者が急増し、政府による緊急事態宣言発出へとつながりました。今の正直な気持ちを言うと、春の二の舞にならないか、非常に心配です。この連休を迎えるまでにも、各種イベントの人数制限の緩和や、飲食店の夜間営業自粛のお願い終了など、徐々に人の動きが回復する方向になってきました。

 

GO TO キャンペーンも始まり、子どもたちの修学旅行も自主的な対策を取りながら開催されているようです。かくいう私たち父子も、8月下旬、キャンペーンを活用して沼津に魚を食らう旅行を敢行しました。駅前のビジネスホテル、ツイン一泊5000円ほどで宿泊し、恩恵に浴しました。

 

私は、みんなが感染拡大防止の対策を徹底すれば、爆発的な感染拡大には至らないような気がしています。ただし、完全にできないのが人間でもあります。マスクをし続けることすら、苦痛に感じることがあります。仲間と大いに楽しんでいたり、まして酒でも飲んで楽しんだりしていれば、面倒なことは忘れてしまうのが、人間の本性でもあると思うのです。私自身が、危うい。

 

本当に難しいことです。結局は、コロナの拡大の状況を見ながら対応していくしかないのか、などと悩む毎日です。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

 

ベーシックインカム

 

こさいたろうの視点・論点 0157

2020/09/25

 

ベーシックインカム

 

先日、ラジオを聴いていると、ベーシックインカムを導入すべき、という声が耳に入った。声の主は、自民党の青山繁晴参院議員。自民党総裁選を解説する番組の中で話をしていた。仕事をしながら聞いていたので内容がイマイチ頭に残らず、後からネット検索をかけてみた。

 

すると、「社会保障ではない「ベーシックインカム」を考えるべき~青山繁晴」という、ニッポン放送 NEWS ONLINEがたくさんのニュースサイトに転載されていた。なかなかの注目発言だったことがうかがえる。内容をかいつまんでお伝えすると、以下の通り。

 

『社会保障を全廃して、その代わり必ず生活できる収入を、仕事をしていてもしていなくても国が支給するという、ベーシックインカムを考えるべき』

 

『いまのように社会保障という名目であれば、いくらでも予算が膨らむということでいいのか』

 

『社会保障を積み上げて行くという考え方をやめ、その代わり「生活はできるようにする」というのがベーシックインカム』

 

僕は、青山氏がこのような主張を持っていたことを知らなかった。どちらかというとネトウヨと言われる人たちに持ち上げられている人で、あまり親和性を感じていなかったが、少なくともベーシックインカムについての基本的な捉え方は似通っていることが分かった。

 

生活保護があり、公的年金があり、医療保険があり、介護保険があり、その他の細かな社会保障が複雑怪奇に絡み合っているのが今の日本。私が地方自治に関わっていた中でも、それらの事務を執行するための行政のエネルギーは途方もない大きさになっている。はっきり言って、ムダだらけ。

 

例えば、生活保護を出すか出さないか決めるために、どれだけの税金がかかるのか。全国民一律に最低限の生活費を支給するとすれば、それらは全く不必要になる。公的年金の事務も、運用も不要だ。青山氏の発言に触れ、安倍長期政権で進んでしまった不毛な思想間のいがみ合いを超え、進めなければならない政策のように思う。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

 

新・国民民主党のこと

 

こさいたろうの視点・論点 0156

2020/09/24

 

新・国民民主党のこと

 

合流野党の党名が立憲民主党となりましたが、旧国民民主党のうちの15人が合流を拒否し、新たに国民民主党を結成したそうです。いろいろな報道を見たのですが、なぜ合流しないのか、イマイチよくわかりませんでした。まあ、共産党との協力への抵抗感、原発ゼロへの抵抗感、などなのかな、などと見てはいます。

 

分党の過程で、榛葉賀津也さんという参院議員の、「私がいまの国民民主党のアイデンティティを引き継ぐ政党から離れる理由は全くない。この新国民民主党は、いまの国民民主党の理念・政策をそのまま引き継ぐ政党ですから、私は引き続きその政党に残りたい」との発言が報道されていました。

 

この発言を見て、だいぶ昔のことを思い出しました。1996年、今と同じように大きな塊を目指す国会議員たちが民主党という政党を作りました。私は新党さきがけ所属の地方議員でした。新党さきがけから民主党に移る人々が相次ぐ中、私は残留しました。その時、この榛葉さんという人と同じようなことを言いました。

 

『政界が数あわせの論理で流動化している今こそ、これまで新党さきがけが掲げてきた旗(理念や政策)を鮮明にすべきだと考えます。政党は、同じ志を持つ人々の集合体であるべきです。現実の政治の中では、政党の所属人数が一定の力になる訳ですが、数さえ集まればなんでもいいという論理に私は組みできません。』

 

当時26歳。だいぶ青臭く少し気恥しいですが、この発言の根底に流れる思いは、今でも変わりはありません。この時は、衆議院に小選挙区制度が導入されて初めての総選挙前夜。あれから24年、いまだに政権交代のための大きな塊づくりが野党で行われているのは喜劇であり、悲劇そのものです。

 

ちなみに、枝野さんはこの時に新党さきがけから民主党に移っていきました。福山さんは、さきがけからの出馬を予定しつつ、どうしても国会議員になりたくて動き回っている姿を記憶しています。安住さんも、この時にさきがけから民主党に移り初当選しています。立憲民主党の幹部、僕はみんなの当時の姿をよく覚えています。

 

あれから24年です。その間、2009年には国民の絶大なる期待を受けて政権を取ったものの、全く期待に応えられず下野したのです。責任も取らずに、最前線に居座るこの人々がいる限り、政治の大きな転換は期待できないと私は感じてしまうのです。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

 

秘書上がりの菅さん

 

こさいたろうの視点・論点 0155

2020/09/24

 

秘書上がりの菅さん

 

菅義偉さんが新しい首相となり、新聞の書き方としては、「非世襲、無派閥の総理・総裁は異例」とされています。また、東北の雪深い地から都会に出て苦労して政治家になった、という経歴がクローズアップされています。たしかに、これまでの日本にはないタイプの総理大臣が誕生したと言えると思います。

 

一方で、農家の長男とはいえ貧しい農家というわけではなかったとか、お父上は町議会議員をしていたとか、そんなにお涙頂戴的な境遇ではなかったようだ、という内容の記事も目にします。どんな境遇で生きてきたか、個人的に興味はありますが、親から地盤や財産を引き継いで議員をやっている人でないことに間違いはないですね。

 

私の境遇と重ね合わすのはおこがましいですが、議員秘書から地方議員になったところ、重なるんです。時代は10年以上違いますが。私も最初は自民党議員の秘書をしました。たぶん、菅さんはおかれた環境に違和感はなく、その器の中で政治家を志していかれたのではないかと推察します。

 

私は、違和感だらけでした。口利きの仕事が一番嫌でした。特に、交通違反の点数を揉み消す仕事。都議会の黒塗りの車で挨拶廻りする姿も嫌でした。大みそかに深夜まで運転手さんを待たせたりして。票や運動のために宗教団体に入会させられたのも嫌だったな。一年後、最後はボスと喧嘩をして、秘書を辞めました。

 

その後、新しい政党との出会いがあり、そんな苦い経験を反面教師として、当初は考えていなかった政治家を志すようになりました。「あんな政治が続いてはいけないんだ」という思いを忘れずに。結局は、志半ばで政治の現場を離れましたが、「嫌な政治」に染まらなかったことだけは、秘かに胸を張っています。

 

菅さんが、自民党議員秘書から横浜市議、衆院議員、首相へと上り詰めたことは、凄いことだと思います。血の滲むような努力の結果だとも思います。でも、あえて述べたいと思います。自民党政治という風土をすべて受け入れて階段を上ってきた人には、その風土を変えてまでの仕事はできません。

 

菅さんが秘書になられた時に、私と同じような経験、否、それを超える汚い部分を無数に見てきたはずです。その時、どのように感じ、どのように行動するか、これは人によって異なるし、それによって人生も大きく変わるはずです。今、ベイエリアの億ションに住むと言われる菅さんに聞いてみたくもあります。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

そして、変化なし

 

こさいたろうの視点・論点 0154

2020/09/23

 

そして、変化なし

 

153号を8月29日に書いてから、あっという間に一か月が経ってしまいました。この間、栽培する大豆が実を太らせ枝豆となったので、慌てて皆さんにご案内し、ご注文を受け、収穫して鋏で調整、出荷作業と忙しく過ごしました。おかげさまで、おおむね好評を頂き、安堵しています。

 

そんなわけで、この間に行われた自由民主党の総裁選挙、合併して野党第一党となる合流新党の代表選挙について、「視点・論点」にて取り上げるのが今になってしまいました。枝豆を鋏で調整する作業は一人黙々と行うため、その間の動きは流し続けているラジオから情報を得ておりました。

 

結果。自民党総裁には、安倍政治の継承を掲げる菅義偉さんが選出され、国会で指名を受け内閣総理大臣に就きました。野党第一党党首には、立憲民主党の枝野幸男さんが選ばれ、新党名も立憲民主党ということになりました。

 

政府・与党は二階幹事長・麻生副総理はじめ多くが留任。新野党も福山幹事長・安住国対委員長など主要メンバー留任となりました。8月の終わりから、それぞれの党で大騒ぎして、マスコミも大騒ぎして、総裁選・代表選が行われましたが、結局は今まで通り変化なし、というのが私の印象です。

 

菅新首相は、デジタル庁、縦割り打破、規制改革、と言っていてそれはそれで20年も前から言われ続けていることがほとんど。やってほしいですよね。でも、じゃあなぜ安倍長期政権7年8か月でできなかったのか。責任が問われる立場ですよね、安倍内閣の閣僚だったわけですから。そこ、多くの皆さん忘れてます。

 

新野党、合流新党も、安住国対継続ということは、またぞろ甲高い声でモリカケ、桜の問題などで追及し続けるのでしょう。もちろんそれは大事。逃げようとしている自民党を許してはいけない。でも、政権を取ったら何をやるのか、安心して任せられるのか、何も示されていない。国民はバカじゃないですよ。

 

今、永田町には700人以上の国会議員がいます。彼らの多くは、与野党に関わらず、変化を求めない、今まで通りでよい、という結論を出しました。あえて言わねばなりません。そんな政治家は今、日本国にとって必要なのか、と。根こそぎ不要じゃないかと。大改革には人材一新、その権能を有するのは国民のみ、そんなことを考えています。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

 

ポスト安倍えらび

 

こさいたろうの視点・論点 0153

2020/08/29

 

ポスト安倍えらび

 

安倍首相の記者会見、大方の予想を覆し、退陣表明となった。8/18に知人が得た「辞任」情報、日付も含めてドンピシャ。偶然なのか、それとも…。情報源が気になるところだが、いずれにしても、かなり深刻な病状だったからこその情報だったように思う。

 

安倍首相の辞任は、想像以上に影響が大きいと思う。8年近くの間、良くも悪くも、安倍氏が首相であることを前提として日本の社会が成り立っていた。いつか終わりが来るとは分かっていつつも、終わりの後のことは賛成派も反対派も真剣に考えていなかったのではないか。

 

ことあるごとに安倍首相に異議を唱えてきた室井佑月氏が、「あしたから何を心の支えにしようというか」とラジオで述べたという。安倍首相支持者のみならず、「アベ政治を許さない」と口角泡を飛ばしていた人たちにとっても、そのよりどころがなくなることを意味する。

 

つまり、安倍政権打倒が合言葉の野党結集も、その理由を失う。安倍政権をどのように総括するかも重要だが、その上で、どんな日本を目指すのか。準備するバスの行き先はどこなのか。運転手は誰で、経由地はどこか、明確に示す必要に迫られる。

 

この後、数週間以内に新しい自民党総裁が選出され、新しい総理大臣が誕生する。自民党の中では石破氏が、目指すべき国家像を示し、国民に問いかける総裁選をすべきと主張するのではないか。しかし、今の実力者たちは安倍政権下における絶妙なバランスが崩れるのを嫌うはずだ。

 

両院議員総会の規定を使い、所属国会議員の投票で新総裁を選出するのではないかと予想している。派閥の論理で決められる方法。重鎮たちの本音は、密室で候補者一本化、両院議員総会で信任、ではないかと思う。20年前、小渕首相が倒れた後、森首相が選ばれた形。さすがにそれはできなさそうだが。

 

自民党総裁選が、安倍政権の総括と、それを踏まえた新しい方向を争う機会になることが、国民にとって望ましいが、そうはならないだろう。理念・政策の論争を望まないのが日本社会の特徴だから。しかし、ここを変えなければ責任ある政治は生まれない。

 

折しも、米国では大統領選挙戦が始まっているが、良くも悪くも、トランプ対バイデンで理念・政策を競っている。非常にわかりやすい。しかも、この決戦に至るまでには、民主・共和両党内でそれぞれ、候補者を選ぶために激烈に競い合っている。民主党で言えばバイデンやサンダース、ハリス…。

 

政治家にとって必要なこと。それは、自らの思いや考えを言葉によって示し、議論し、民に問うこと。このプロセスが責任ある政治へとつながる。私は安倍政権に批判的に立場だが、安倍政権は民に問い、多数の賛同を得てきたことは受け入れねばならないと思っている。

 

さあ、問題はこれからだ。どんな自民党の総裁選びになるか、注視しよう。もしも、理念や政策を競い合うような総裁選にならないならば、次の解散総選挙が重要だ。その時、野党が明確な旗を掲げられないならば、何らかの形で国民は立ち上がらねばならないのではないだろうか。我々の未来を拓くために。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

安倍政権の終わり方

 

こさいたろうの視点・論点 0152

2020/08/27

 

安倍政権の終わり方

 

お盆明け、二週続けて、安倍首相は慶応大学病院に入った。追加検査などという理由付けがされていたが、体調がすぐれないことは確かなようだ。そして、8月28日(金)に記者会見を開き、自らの体調についても説明するとの報道がある。

 

実は、8月18日、政界裏情報に詳しい古い知人から、「8月28日に安倍総理辞職」というメールをもらっていた。その時は、相変わらずさまざまな怪情報が流れるものだなぁ、などと気にもしていなかったが、28日という日付がドンピシャで、改めて思い出した。注目している。

 

体の健康があってこそ心の健康があり、正しい判断、果敢な決断ができるはずだ。しかも、一国のトップリーダーである。安倍首相には、自らの病状と正面から向き合い、賢明な判断をされるよう求めたい。コロナ禍という未曽有の事態、首相の役割と責任は極めて重い。

 

しかし、冷静に考えてみると、首相の健康問題以前に、今の安倍首相が政権を担い続けるべきか否かを考えなければいけない事象は山ほどある。「体調が悪いからやめる」というのはある種の言い訳で、本来は「責任を取ってやめる」でなければならないと思う。そして、とるべき責任は、ありすぎる。

 

秋元司衆議院議員によるカジノを含む統合型リゾート(IR)事業をめぐる汚職事件。事業参入の便宜を図るための贈収賄だ。本人は否定しているが、8月には裁判でうその証言をするよう働きかけた証人買収の容疑で再逮捕。金を渡した側はそれを認めており、外堀は埋まっている。

 

河井克行・案里夫妻による参議院議員選挙をめぐる買収事件。県議会議員や首長などに現金を配り、票の取りまとめなどを依頼した公職選挙法違反。本人たちは無罪を主張している。金は配ったが、票の取りまとめを依頼する趣旨ではないと。語るに落ちる、とはこのことではないか。配っていることを認めている。

 

直近の、この二つの事件、今は離党しているとはいえ、自民党の議員が引き起こしたものだ。昔なら、どちらか一つだけでも政権が吹き飛ぶ大事件であったはずだ。しかし、これらを理由とした安倍首相・自民党総裁への責任追及の声は全く聞こえてはこない。こんな世の中でよいのだろうか。

 

第二次安倍政権、連続在職2799日を超えて史上最長記録を更新中だ。さかのぼれば、党首が責任を取らねばならない事件はいくつも起きていた。公文書の改ざんもあったし、自民党議員の政治と金の不祥事もたくさんあったように記憶している。モリカケ問題もうやむやになってしまっている。

 

その都度、安倍首相は「責任を痛感」と述べるものの、感じるだけで身をもって「責任を取る」ということがなかった。そうこうしているうちに選挙が行われ、安倍自民党が勝利し、国民の信任を得た、と。みそぎは済んだということになり、政権は継続し続けた。

 

民意が、安倍政権の責任を不問に付したともいえる。野党には任せられないので仕方がなかった、と言えばそれまでだが、それならば与野党もろとも取り換えるくらいの運動を主権者として行わねばならないのではないか。日本政治の現状は、政治家総入れ替えが必要なほどに劣化している。

 

ただ、そうは言っても、主権者である国民はそう簡単に動けるものではない。多くの人は、生きていくために必死。自分や家族の生活で手一杯なのが現実。私自身も。政権政党の不祥事がこれだけ積み重なり、このままではいけないとわかってはいても。

 

万が一、安倍首相が健康問題を理由に退陣しても、日本は全く変わらない。安倍嫌いな人たちが喜ぶにとどまる。問題は、責任を取らない人々がうごめく永田町そのものにあり、政権与党のみならず、野党も同じ穴の狢。そこにメスが入らない限り、何も変わらない。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)