こさいたろうの視点・論点 0151
2020/08/27
大きな塊〈かたまり〉
立憲民主党と国民民主党がくっついて、大きな塊になるらしい。昔の民主党再び。非自民の「かたまり」をつくれば、政権交代の受け皿になる、との考え。衆議院選挙は小選挙区制。一つの選挙区で一人の当選者。二大政党を前提とした制度であり、野党の動きは必然ともいえる。
でも、釈然としない。こういう政治で本当にいいのか。単に「自民ダメ」「アベ政治許さない」などという旗印のみで集合する野党に政権を任せていいのか。任せるべきなのか。いったい何をやろうとしているのか。よく考えてみれば、理念も政策も全く見えてこないのは、私が不勉強だからなのか。
小選挙区制をやめにして、多様化する民意を反映する複数政党の国政参加を可能にする比例代表制への変更を公約するといった大胆な社会変革を掲げる政治家、政党は出ないものだろうか。現在の日本の政治環境で、自民党と自民党以外の受け皿政党で政権交代を可能にすれば「素晴らしい政治」になるなんて、到底思えない。
1990年代前半、政治改革と称する選挙制度改革、小選挙区制度の導入を声高に主張してきた生き残りが、小沢一郎氏であり、その下、若手として台頭したのが岡田克也氏や野田佳彦氏などである。彼らにとって、小選挙区制度の否定は、自らの政治人生の否定につながってしまうので、思考停止となる。
二大政党は既得権化するため、野党になってもしばらく我慢していれば、敵失などによって政権交代期がやってきて、復権することが可能だ。だから、今回の「大きな塊」には「昔の名前」がたくさん出てくる。前民主党政権における失敗の責任を全くとらない面々の名前が。
以前にも書いたことがあるが、旧民主党政権において大臣・副大臣を担ったものは少なくとも、政治家を退くべきだと私は強く思う。国民の期待に全く応えられなかった責任を取って。大きな塊の中で大物面をしている枝野氏も小沢氏も、安住氏や平野氏も、野田佳彦氏や岡田克也氏も、塊には入らないようだが前原氏も。
他にもたくさんいる。公約していた政治改革も行政改革も全く行わなわず、公約とは逆の増税は財務省のいいなりで断行。途中で発生した未曽有の災害対応も稚拙で、原発事故を目の当たりにしても「直ちに影響はない」と。その後の電力改革も中途半端に終わってしまった。その責任を感じている様子は、いまだにない。
安倍自公政権は、もはやあまりにひどい。コロナ禍にありながら、国会も開くそぶりがない。この一点をもってしても、政治家失格とさえ思う。しかし、だからと言って、「受け皿」と自ら称する、野党の「大きな塊」に自動的に政権を移していいのだろうか。私は、今以上に「ダメ」になってしまう気がしてならない。
自公政権は変えたいけど、野党の「大きな塊」には期待できない。今、多くの国民は選ぶべき政党、政治家を決めあぐねているのではないだろうか。繰り返し述べるが、これは「小選挙区制」という制度に起因しているところが大きい。選挙制度を変えて、いろいろな主張の政党、政治家を国会に送り込むべきだ。
いい悪いは別にして、全国比例代表制の参議院では、山本太郎氏の政党やN国党が議席を得た。その昔、私の所属したみんなの党や新党さきがけも、参議院全国比例区で一定の得票を獲得し、複数議席を与えられ、少なからず影響力を行使した。
二大政党の既得権化は、政治のダイナミズムを奪い、国民不在の政治をさらに深めてしまう。今の日本に必要なのは、多様で有能な人材を政治の舞台へ送り込むことなのだと、私は確信している。議席数を獲得票数によって比例配分するしくみを導入することで今の政治は劇的に変わるとも、強く確信している。
その意味で、二大政党の一翼を担うために「大きな塊」を作る人たちを、私は全く信用できない。自己保身そのものでしかない。
農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)