大きな塊〈かたまり〉

 

こさいたろうの視点・論点 0151

2020/08/27

 

大きな塊〈かたまり〉

 

立憲民主党と国民民主党がくっついて、大きな塊になるらしい。昔の民主党再び。非自民の「かたまり」をつくれば、政権交代の受け皿になる、との考え。衆議院選挙は小選挙区制。一つの選挙区で一人の当選者。二大政党を前提とした制度であり、野党の動きは必然ともいえる。

 

でも、釈然としない。こういう政治で本当にいいのか。単に「自民ダメ」「アベ政治許さない」などという旗印のみで集合する野党に政権を任せていいのか。任せるべきなのか。いったい何をやろうとしているのか。よく考えてみれば、理念も政策も全く見えてこないのは、私が不勉強だからなのか。

 

小選挙区制をやめにして、多様化する民意を反映する複数政党の国政参加を可能にする比例代表制への変更を公約するといった大胆な社会変革を掲げる政治家、政党は出ないものだろうか。現在の日本の政治環境で、自民党と自民党以外の受け皿政党で政権交代を可能にすれば「素晴らしい政治」になるなんて、到底思えない。

 

1990年代前半、政治改革と称する選挙制度改革、小選挙区制度の導入を声高に主張してきた生き残りが、小沢一郎氏であり、その下、若手として台頭したのが岡田克也氏や野田佳彦氏などである。彼らにとって、小選挙区制度の否定は、自らの政治人生の否定につながってしまうので、思考停止となる。

 

二大政党は既得権化するため、野党になってもしばらく我慢していれば、敵失などによって政権交代期がやってきて、復権することが可能だ。だから、今回の「大きな塊」には「昔の名前」がたくさん出てくる。前民主党政権における失敗の責任を全くとらない面々の名前が。

 

以前にも書いたことがあるが、旧民主党政権において大臣・副大臣を担ったものは少なくとも、政治家を退くべきだと私は強く思う。国民の期待に全く応えられなかった責任を取って。大きな塊の中で大物面をしている枝野氏も小沢氏も、安住氏や平野氏も、野田佳彦氏や岡田克也氏も、塊には入らないようだが前原氏も。

 

他にもたくさんいる。公約していた政治改革も行政改革も全く行わなわず、公約とは逆の増税は財務省のいいなりで断行。途中で発生した未曽有の災害対応も稚拙で、原発事故を目の当たりにしても「直ちに影響はない」と。その後の電力改革も中途半端に終わってしまった。その責任を感じている様子は、いまだにない。

 

安倍自公政権は、もはやあまりにひどい。コロナ禍にありながら、国会も開くそぶりがない。この一点をもってしても、政治家失格とさえ思う。しかし、だからと言って、「受け皿」と自ら称する、野党の「大きな塊」に自動的に政権を移していいのだろうか。私は、今以上に「ダメ」になってしまう気がしてならない。

 

自公政権は変えたいけど、野党の「大きな塊」には期待できない。今、多くの国民は選ぶべき政党、政治家を決めあぐねているのではないだろうか。繰り返し述べるが、これは「小選挙区制」という制度に起因しているところが大きい。選挙制度を変えて、いろいろな主張の政党、政治家を国会に送り込むべきだ。

 

いい悪いは別にして、全国比例代表制の参議院では、山本太郎氏の政党やN国党が議席を得た。その昔、私の所属したみんなの党や新党さきがけも、参議院全国比例区で一定の得票を獲得し、複数議席を与えられ、少なからず影響力を行使した。

 

二大政党の既得権化は、政治のダイナミズムを奪い、国民不在の政治をさらに深めてしまう。今の日本に必要なのは、多様で有能な人材を政治の舞台へ送り込むことなのだと、私は確信している。議席数を獲得票数によって比例配分するしくみを導入することで今の政治は劇的に変わるとも、強く確信している。

 

その意味で、二大政党の一翼を担うために「大きな塊」を作る人たちを、私は全く信用できない。自己保身そのものでしかない。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

 

コロナ禍、持続化補助金、経営継続補助金?スポーツ事業継続支援補助金?…

 

こさいたろうの視点・論点 0150

2020/07/30

 

コロナ禍、持続化補助金、経営継続補助金?スポーツ事業継続支援補助金?…

 

コロナ禍、そのマイナスの影響を最小限に収め、事業の継続を支えるためにということで、経済産業省系の補助金が設定されています。既存の「持続化補助金」と呼ばれる制度に「コロナ特別対応型」を追加し、補助率を高めて、審査も迅速に行うというものです。

 

・サプライチェーンの毀損への対応 ・非対面型ビジネスモデルへの転換 ・テレワーク環境の整備

 

いずれかの要件に合致する投資を含むことが条件で、新型コロナウイルス感染症が事業環境に与える影響を乗り越えるために前向きな投資を行いながら販路開拓等に取り組む事業者への重点的な支援を図るというものです。

 

7月、実はこの申請準備にも時間を使っていました。もともと、ホームページの新設、ネット販売の拡充を考えており、それをコロナ禍を乗り越えるために活用したいということで、申請書を作成し、提出しました。審査に通るかは全くわかりませんが、活用できればさせて頂こうと思いました。

 

この補助金とは別に、農水省系の補助金があるという情報を生産者仲間から聞きました。「経営継続補助金」という名称でした。公募要領を読み込むと、持続化補助金とほぼ同様のスキーム。いわば、持続化補助金の農水省版。こちらは、農産物加工を共同でやろうと計画している仲間と共同申請として申請書を作成し、提出しました。

 

私は、政治に関わっていた時代、税金の使い道を正す、が旗印だったので若干の後ろめたさを感じる部分もありますが、悪さをしているわけでは全くないので、申請が通れば、政策目的に合致するよう活用させてもらいたいと思っています。そして、実際に活用する中で、補助金行政の実際に触れ、問題点があれば指摘したいと思っています。

 

ちなみに、今年はスポーツ少年団の保護者会長もしているのですが、この上部組織からも補助金資料が来ました。「スポーツ事業継続支援補助金」というもので、公募要領を見ると、なんと、上記二つの補助金と同じスキームのものでした。スポーツ少年団は営利団体ではないためもちろん申請はしませんが、驚きました。

 

同じスキームの補助金が省庁ごとに、全国縦割りで案内される社会。このままでいいとは思ってはいません。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

コロナ禍、金を配る政策、続々と

 

こさいたろうの視点・論点 0149

2020/07/29

 

 

コロナ禍、金を配る政策、続々と

 

 

私の住む山梨県北杜市では6月、市独自に8万円(地元で使える商品券5万円と現金3万円)を全市民に給付する案を市長が議会に提案しましたが、議会側の多数は「基金の大幅な減少は北杜市の財政基盤を揺るがすことになる」などとして商品券3万円分のみ給付する修正案が成立することになりました。

 

北杜市は市長も議会議員もこの秋に改選の選挙があり、選挙を背景にした駆け引きの側面も否定できませんが、いずれにしても、コロナ禍における地方自治体独自の経済対策が実施されることになります。ただ、国と違うのは、この種の経済対策のための借金はできないというところです。だから、上記にあるように「基金」という貯金を取り崩すしか、やりようがないのです。国はない袖を振れますが、北杜市は振れません。お財布にお金のある時しかできない政策で、何度もできる政策ではないわけです。

 

真水を市場に流し込むわけですから、一定の効果はあるでしょう。しかし、それは一過性で、すぐに泡となって消えていくでしょう。その意味で、税金の使い道として賢明だったのか、費用対効果はいかがか、本当に必要な施策だったのか、選挙の前に厳しい検証が必要です。

 

ちなみに、北杜市では子育て世帯に5,000円、乳幼児のいる世帯には更に15,000円の給付金を出すなど、現金給付的施策が手厚くなっています。選挙対策、との指摘はあながち間違いではないように思います。

 

北杜市の給付金施策に触れ、他の自治体の動向が気になり調べてみました。

 

最近のことで、大きな話題になっていたのは東京・千代田区。新型コロナウイルスの影響で落ち込んだ経済活性化策として、区民全員に現金12万円を給付する方針を決定。これから議会で審議されるようですが、北杜市の施策同様、腑に落ちません。本当に経済活性化に資するのでしょうか。効果検証方法を同時に示すべきだと思いますが、きっとできないはずです。特に東京という大経済圏では。

 

なお、報道によれば、「区長の疑惑隠し」との声も紹介されています。北杜市のケースと同様、政治家の人気取りに使われている感が否めません。私が政治の現場にいる時も一部有権者や支持母体への利益誘導が疑われるような予算の使い方はありましたが、ここまで露骨に現金をばらまくようなものはなかったと思います。もう少し、恥かしそうにと言いますか、抑制的に、回りくどくやられていたように感じます。ずいぶん下品になってしまったように感じます(品がよいからいいわけではありませんが)。

 

市町村独自の給付金、さらにネット検索をかけていくと、品川区では3万円(中学生以下は5万円)の給付金が決まっているのをはじめ、1-3万円の給付は全国の多くの自治体で実施されているようです。先に述べたように、おそらく財源はいわゆる「貯金の取り崩し」だと思います。だから、貯金のある分しか、この政策は打てないのです。

 

コロナ禍における現金一律給付による経済対策、これは国が全国を対象に行うべき政策ではないでしょうか。今の法体系、国と地方の関係性、地方自治体の持つ権限からしても、一般財源を投入する現金給付政策は持続可能な政策ではないはずですし、経済への効果も極めて限定的になってしまいます。地方自治体は、もっときめ細かく、本当に困っている人たちを見極め、手を差し伸べるべきだと私は思います。

 

もらえることは有難いです、正直申し上げて。でも、その現金給付、市長の人気取り、選挙対策、住民懐柔の意味合いが強すぎないか、もっと違う税金の使い道が必要ではないか、一市民として厳しくチェックすることが求められていると思います。

 

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

 

 

 

今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。現在、数十人の皆様にご購読料(発行協力費)を頂いておりますが、時勢や内容等によっては公式サイトに全文公開いたしますので、ご購読者の皆様にはご諒解賜りたく存じます。なお、ご購読下さる方は、こさい宛てご連絡ください。月額500円(一口)をお願いしております。電子メールにて全文お送り致します。

第二波ではないのか 〈新型コロナウイルス感染拡大〉

 

こさいたろうの視点・論点 0148

2020/07/28

 

 

第二波ではないのか 〈新型コロナウイルス感染拡大〉

 

 

近所に人気のあるオートキャンプ場があり、公道からキャンプサイトの一部が見えるのですが、この4連休、大盛況の様子でした。車が隙間なく停まっているのが見えました。また、いつもの年ほどではないものの、八ヶ岳山麓エリアである周辺には、いわゆる他県ナンバーの車がたくさん走っています。

 

目をつり上げて「来ないでください」とまでは言うつもりはありませんが、東京をはじめとする感染者数の発表を見るにつけ、大丈夫なのかな、と心配の度合いは日々高まります。

 

知人が作成した「東京都の新規感染者数の推移」という表が手元にあります。先の緊急事態宣言下、4/10-4/16の週に新規感染者数1,108人まで増えましたが、5/15-5/21の週に59人まで減少。実は、この後の週比較では、ほぼ毎週拡大し、7/10-7/16に1,368人、7/17-7/23には1,780人になっています。

 

緊急事態宣言解除直前が底で、そこから増加の一途ということになります。

 

政策研究大学院大学の土谷隆教授は6月に、何の対応をしなければ7月末に感染者は500人を超え、8月末に最大3388人に達するとの実効再生産数を基にした試算を発表していました。現在の状況は、その試算が現実と酷似していると話題です。あくまで数理モデルによる予測ではありますが、何らかの対策が必要であることを示すデータだと思います。

 

しかし、政府も東京都も、緊急事態宣言の発出どころか、強い注意喚起もなされず、感染拡大を抑えるための具体的政策も打たれる様子がありません。むしろ、納得できる説明なきまま、「GO TOキャンペーン」が開始され、入国規制の緩和方針が示されるなど、感染拡大が収束しつつあるかのように錯覚してしまいそうです。

 

「4月の緊急事態宣言時とは大きく状況が異なっています」。7月22日、新型コロナウイルス感染症対策本部で安倍首相はこう発言しました。前後を端折ってしまったのでわかりにくいですが、「だから、緊急事態宣言は不要」という意味になります。

 

本当にそうでしょうか。私の知人が東京都のデータを分析したところによると、リスクの高い60歳代以上の感染者の絶対数は4月の緊急事態宣言時に近づいているといいます。(3/27-4/2に110人になり、その後最大294人/週まで増加。直近、7/10-7/16・104人、7/17-7/23・167人と増加傾向。)

 

また、人口呼吸器装着数も同様に、4月はじめと同水準に達している。(7/10の週まで減少を続けたが、7/17の週に19に増加。)

 

手元にある東京都のデータを紹介しましたが、全国的に見ても新規感染者は増え続けていて、7/24には912人となりました。ここでは載せられませんが、グラフを見れば急激な右肩上がりは明らかです。4月の緊急事態宣言時と状況が異なっているどころか、拡大のペースはむしろ速いのではないでしょうか。

 

「要警戒」のメッセージを出すべき時だと私は感じます。「みなさん、感染防止の行動を再度強める時です」と世論喚起すべきです。感染爆発してしまえば、取り返しがつきません。したがって、「GO TO キャンペーン」も一旦停止すべきです。要警戒を求めつつ、旅行を進めることはできないはずだし、すべきではありません。感染爆発を招けば、日本の観光は壊滅的打撃を受けてしまうのです。

 

前回の緊急事態宣言では、接触8割減のお願いがなされ、結果を見るとかなりの効果があったように見えます。今度は、経済活動をできる限り続けながら同様の効果が得られるように、識者の英知を結集して早急に具体的な対策を打ち立てるべきです。

 

申し訳ありません。私には具体的対策は思い浮かばないのですが、少なくとも経済優先で旅行をどんどんして下さい、という政策を推進すべき時ではないことだけは、強く思うのです。今、このような政策を推進しようとしている政治権力は極めて危ういと私は感じています。

 

自粛はこりごり、と思う方々も多くいらっしゃると思いますが、下手をすると、感染爆発で自粛どころでは済まなくなる可能性もゼロではない、ということを忘れてはならないと思うのです。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。現在、数十人の皆様にご購読料(発行協力費)を頂いておりますが、時勢や内容等によっては公式サイトに全文公開いたしますので、ご購読者の皆様にはご諒解賜りたく存じます。なお、ご購読下さる方は、こさい宛てご連絡ください。月額500円(一口)をお願いしております。電子メールにて全文お送り致します。

早くも頭を抱える、新規就農者

 

こさいたろうの視点・論点 0147

2020/07/27

 

 

早くも頭を抱える、新規就農者

 

 

前回、6月中旬に「視点・論点」を発行して以来、約一月半ご無沙汰してしまいました。なしのつぶて、どうかご容赦ください。表題は、不肖・私のことでございまして、視点・論点の筆が滞ってしまっていた原因です。一人仕事の畑作業がはかどらず、加えて、未熟な腕前ゆえの失敗が重なり、世の動きに目を凝らし、思考し、執筆するという行動をとることが全くできませんでした。言い訳にて恐縮ですが、お詫びさせて下さい。

 

昨年、49歳のうちに新規就農者認定を受けられれば新規就農者向けの助成金が受けられる、という人参に釣られて、申請にチャレンジ。4月、役所に相談に出向き、計画を練り、資料を調製。面接では厳しい指摘を受けたものの、8月に新規就農者に認定され、秋のにんにく植付をもって就農開始となりました。認定されたものの、当初は予算の関係で補助金は厳しいと言われていましたが、風向きが変わり、補助金も受領できることとなりました。

 

就農時期が秋となったので、本格始動はこの春からとなりました。中古のトラクターなどを購入し、新しく借りた農地でまずは大豆の栽培から始めています。自宅前の畑で3年の栽培経験があるし、雑草を抑えるための管理機も購入したので大丈夫だろうと思っていたのが、全くの過信でした。管理する畑は60アール超、今までの6倍に増え、借りた畑には雑草の種が無数に隠れていて、雑草を抑える耕耘方法、管理方法にもかなりの甘さがあり、5月中旬に播種した大豆畑に雑草を繁茂させてしまったのです。6月下旬に播種した畑は、失敗から少し学び、今のところ何とか雑草を抑えていますが。

 

また、来年の準備として、やまといもの種いもづくりにもチャレンジしています。なかなか芽が出ず、一時は失敗、全滅を覚悟したのですが、2か月以上の後、芽が出てきました。大きな畑に植え替えて大きくするのですが、雑草を抑えるための作業について、想定していた方法が取れないことが分かり、頭を抱えてしまっています。このままいくと、やまといものつるや葉が雑草に負けてしまうのです。

 

大豆もやまといもも、手でひとつづつ除草作業するしかない、という結論に至っています。全部はできないので、どの畑からやるか、優先順位をつけてやるしかありません。ただ、毎年そんなことはできないので、来年はどのように準備するか、並行して考えているところです。

 

除草剤はどうしてもまかないのか、そう助言してくれる方もいます。もちろん、慣行栽培では、人体には影響のない除草剤を使用しているのだと思います。でも、私は心情として、農薬や化学的肥料を使わないものを作りたい、と思っていて、田畑を耕す限り、それは曲げないで取り組むことを決めています。これから先も、雑草に負けない、雑草と共生できる作物づくりをしていきます。

 

補助金を受領したら、受領した年と同じだけの期間、農業を続けることとされています。最大5年間受け取れるので、その場合は10年間、農業を離れることができません。数年前まではこの条件は附されていなかったのですが、おそらくいろいろあったのでしょう。補助金受けるだけ受けて、終了したらいなくなってしまうとか。実例は知りませんが、たぶんそんな理由でつけられた条件だと思います。やむを得ない、というか当たり前なのだと思います。原資は税金ですから。

 

これから先、私に皆さんにお売りできるような農産物が作れるのか、それを商売として確立できるのか、今のところは全く自信がありません。でも、うまくいかなくても、10年は継続します。10年やって結果が出なければ諦めます。農業専業で生活の糧を得るのは厳しいので、このように社会評論活動も継続させて頂き、野菜たまごの販売事業も続け、この冬からは味噌づくりを始める準備を進めています。

 

百姓とは、百の仕事をこなし生活する人という意味もあるようです。田畑を耕すことを続けながら、自分ができそうないろいろなことを探して、まずは50代を生きてみようと思います。相変わらず、準備不足の見切り発車ではありますが…

 

というわけで、「小斉太郎の視点・論点」、予定より遅れ気味の発行となってしまうことしばしばですが、これからもどうぞお付き合いを頂ければ嬉しく存じます。ちなみに、今号から第150号までは6月発行分となります。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

 

 

 

今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。現在、数十人の皆様にご購読料(発行協力費)を頂いておりますが、時勢や内容等によっては公式サイトに全文公開いたしますので、ご購読者の皆様にはご諒解賜りたく存じます。なお、ご購読下さる方は、こさい宛てご連絡ください。月額500円(一口)をお願いしております。電子メールにて全文お送り致します。

#種苗法改正案に抗議します に思うコト

 

こさいたろうの視点・論点 0146

2020/06/14

 

 

#種苗法改正案に抗議します に思うコト

 

 

#検察庁法改正案に抗議します、という投稿がSNSで拡散していることを先日ココで取り上げました。それと同じように、#種苗法改正案に抗議します、という投稿も拡散していました。女優の柴咲コウさんが「様々な観点から審議する必要」とツイートし、注目を集めました。そして、法案審議は先送りされました。

 

検察庁法等の改正と同様、コロナ禍が続く中、緊急に作らねばならない法律なのか、と感じていました。後述しますが、少なからず根強い反対論もあり、懸念を払拭する十分な説明もされず、強行的に結論を得るのは如何なものかと思っていました。その意味では、先送りでよかったものと思っています。

 

私は農民のはしくれでもありますので、この件については拡散する前から注目はしていました。特に、自然栽培や有機栽培といった分類の農家の方の中に、伝統的な種を守ることやそれらを自家採取して使うことに関心が深い方が多く、反対の立場の方が多いように見ていました。

 

今回の改正の眼目、農水省は、日本で開発された品種の海外流出を防ぐことにあると言います。日本のイチゴやブドウ、これまですでに海外に流失してきました。2年前の平昌五輪でカーリング女子の日本代表が「もぐもぐタイム」でイチゴをほおばった時、「あれはもともと日本の品種」と話題になったことはご記憶にあるかと思います。

 

一方、反対派は、それに伴って農家が作物から種を取る自家増殖に制限がかかるようになることを危惧しています。種苗の海外流出を防ぐ必要があることに異論はないようですが、自家増殖の制限をすることによって農家の負担するコスト増やグローバル企業に種苗開発が独占されることを懸念しているようです。

 

農水省は、自家増殖を制限するのは一部の登録品種のみで、一般品種と言われる多くの品種は自由に自家増殖が可能と説明しています。これに対し反対派は、その登録品種が激増していて、登録品種の指定は実質的に役所の一存ではないか、と疑っています。

 

また、登録品種を自家増殖する場合には許諾料が必要になることについて、農水省は「普及前提に開発した品種は許諾料は合理的水準に設定されるはず」とするが、反対派は、「グローバル企業が種子開発の中心になれば高額な許諾料が求められるはず」と反発しています。

 

時間的制約があり不十分ながら、できる限りの情報に目を通してみました。私なりに考える問題点が絞られてきたような気がします。

 

・ 登録品種がむやみに拡大する懸念はないか?

・ 登録品種の使用許諾や増殖に関し、零細・小規模事業者等への救済措置はないのか(欧州にはある模様)

・ 外国企業が在来種を勝手に品種登録するという主張についての見解

 

これらを丁寧に説明していくことが政府には求められています。ただ単に、「大丈夫」とHPに載せるだけでは不十分です。品種登録の要件、運用方針をより明確に示すとともに、小規模・零細農業者を圧迫しないための具体的措置を明示すべきだと思います。また、種苗開発の将来戦略も分かりやすく提示されるべきです。

 

先日、農民仲間と少し話しましたが、極端な主張を持つ両極の人々の言い合いにはうんざりだが、当事者からの説明が聞こえないこともどうなのかと。品種の保護の必要性は多くの人が理解するはずなので、さまざまな懸念を払拭する努力を重ねることが重要です。陰謀論的反対論への反論はそんなに難しいことなのでしょうか。

 

検察庁法、のことと同じで、コロナ禍の中、慌てて法案を通そうとする姿勢が、誤解を招き、ますます不信が深まってしまいました。内容以前に、権力者とその周辺の心、「寄らしむべし、知らしむべからず」的な基本姿勢の問題なのだと思います。私が政治に関わっていた頃と何一つ変わっていないどころか、この数年で悪化したように思います。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。

現在、数十人の皆様にご購読料(発行協力費)を頂いております関係から、公式サイトには原則冒頭部分のみ掲載させて頂きます。誠に恐縮に存じますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。ただし、時勢や内容等によっては全文公開する場合がありますこと、ご購読者の皆様にはご了解賜りたく存じます。

ご購読下さる方は、こさい宛てご連絡ください。月額500円(一口)をお願いしております。電子メールにて全文お送り致します。

政治の現場を離れて4年、内容的に皆様にご納得頂けるものが書けるか、いささか不安ではありますが、これまでの自らの政治活動を思い返しながら、頑張ります。また、いずれ、ご購読者の皆様に見える形の双方向のやり取りができるようなオンラインサロンのようなものの立ち上げも考えています。

学習の遅れ… 全員留年…

 

こさいたろうの視点・論点 0145

2020/06/13

 

学習の遅れ… 全員留年…

 

コロナ休校。約3か月。今は、第一波収束状態で学校再開となっていますが、第二波、第三波がないとも限りません。そうなれば、再び休校にせざるを得ません。学校を再開させ、夏休みを短くするとか言っていますが、再休校の事態となったら、万事休すではないでしょうか。

 

オンラインで授業を受けられるようにすることも大切だとは思いますが、学習の遅れや受験への対応などを最優先に気にするのは大人の論理。ほとんどの子どもにとっては、学校に通う、友達と遊ぶことが重要で、運動会も学芸会も遠足も修学旅行も、部活の試合も、当たり前のことが何もできないことが大問題です。

 

フル回転で「学習の遅れ」を取り戻し、受験の海に子どもたちを放り込み、社会の歯車を養成することを最優先とする。今の社会の仕組みはできる限り変えない。今の支配者・指導者層が、無意識に求めている形のように思えます。本当に子どもたちのためにそうしたいなら、慌てずじっくり考えなければならないのではないでしょうか。

 

全国の子どもがほぼすべて、3か月にわたって学校に通えなかったというのは、まさに非常事態です。しかも、この後もしばらく、再度休校になる可能性も低くはありません。「学習の遅れ」だけに対応すればいいわけではないはずです。学習だけでなく、子どもたちの育ちにどんな影響があり、どうすべきか、考えねばならないはずです。

 

未来を担う子どもたちには、夢と希望をもって大人になってもらうべきです。それが、日本の、世界の未来を拓くはずです。そのためには、焦る必要はないと思います。「学習の遅れを取り戻す」なんていうちっぽけな目標に左右されるべきではないし、そもそもそれは大人社会の論理に他なりません。

 

もう一年、同じ学年をやってもらえばいいと思うのです。全員留年。子どもたちはみんな、そのくらい多くを失っているのです。今回の休校によって。この先も、これまで通りにはいかず、休校のリスクも抱えています。大人はいろいろ理由をつけて「難しい」と言いますが、難しくてもどうにかしなきゃならない事態なのです。今年は受験も中止、くらいの。

 

大学生は学費や生活費、人生設計もあるので自由に選択してもらい、高校生から幼稚園・保育園までは同じ学年をもう一回やる、進級はなし。新たに保育園に入る子どもたちの受け入れがネックになりますが、ここで集中的に受け入れ態勢を作れば、今後の待機児童を減らすことにもつながるはず。

 

お金がかかるかもしれませんが、国の宝である子どもたちがしっかり育ってもらうことにつながるわけですから、僕はできる限り公費で手当てすることでよいと思います。また、これを契機に、学校教育のありようを見直すことに着手すべきです。9月入学がいいのか、一斉入学が必要か、オンライン授業の基盤整備、などなど。

 

好き勝手に書いているようですが、僕は結構、本気です。息子を通じて、コロナ休校で今の子どもが置かれている状況を目にするにつけ、もう一回同じ学年をやらせてあげるのが全くおかしくはないと思っていました。単に、学習の遅れが取り戻せればいい、なんておかしすぎます。

 

卒業生は在校生と会えずにお別れになってしまいました。新入学も厳戒態勢で実施、のような感じで。再開しても、各種行事はなし。甲子園だけ特別扱いは嫌ですが、部活の練習も試合もなし。何より、普通に友達と会って、おしゃべりして、っていうのもままならなかったわけで。

 

コロナ禍で、日本の学校教育が実質的に上意下達、文部省がすべてをコントロールしていることが改めてよく見えました。制度上は、学校長に大きな権限があるはずなのに。通知とかお願いとか言いながら、実質の命令です。一斉画一です。このあたりの仕組みも、再検証していくことが必要だと思います。

 

難しいと言って変化を志向しない平時の政治家は不要で、未来を見据えて仕組みを大きく変更できる乱世の政治家が必要。昔、どなたかが表現したが、凡人・軍人・変人の中で、誤解を恐れずに言えば、「変人」に当たる政治家が必要だと強く思います。変人でなきゃ、既得権を打ち破れない。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

 

今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。

現在、数十人の皆様にご購読料(発行協力費)を頂いております関係から、公式サイトには原則冒頭部分のみ掲載させて頂きます。誠に恐縮に存じますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。ただし、時勢や内容等によっては全文公開する場合がありますこと、ご購読者の皆様にはご了解賜りたく存じます。

ご購読下さる方は、こさい宛てご連絡ください。月額500円(一口)をお願いしております。電子メールにて全文お送り致します。

政治の現場を離れて4年、内容的に皆様にご納得頂けるものが書けるか、いささか不安ではありますが、これまでの自らの政治活動を思い返しながら、頑張ります。また、いずれ、ご購読者の皆様に見える形の双方向のやり取りができるようなオンラインサロンのようなものの立ち上げも考えています。

 

 

#検察庁法改正案に抗議します の拡散

 

こさいたろうの視点・論点 0144

2020/06/07

 

#検察庁法改正案に抗議します

 

5月にツイッター上で「#検察庁法改正案に抗議します」の投稿が拡散し、その結果、5月18日、政府・与党は、検察官の定年を引き上げる検察庁法改正案の今国会での成立を断念した。

 

同法案は、黒川検事長を検察庁長官に就けるために、そのための内容が追加されたと言われても仕方がない経過をたどっており、その説明も多くの国民が納得できるものではなかった。

 

しかも、新型コロナウイルス感染が拡大し緊急事態となっている中であっても、法案成立を強行しようとしていた。なぜこの時期に何としてでも通さねばならないのか。やはり、黒川氏を長官にするために後付けの合法化が必要なのか、と思われても仕方がない。

 

少なくとも、こんな時期だから先送りします、次の国会で十分に審議します、となぜ言えなかったのだろうか。上記の理由なら、言えないということになる。それでも、反対する世論に抗しきれず法案提出断念となった。

 

そして、その直後、驚くべきことに黒川氏が新聞記者宅で賭け麻雀に興じていたことが暴露され、それを認め、辞任するに至った。劇画でもあり得ないような展開。何か裏はあったのだろうか。身内の処分は甘く、逮捕・送検の気配もなく、退職金は満額受給。これも批判の的となった。

 

コロナ禍においてなお、こんなことをしている政権、なるべく早く退場してもらわねばならない、とその思いはますます強くなるばかりだ。かといって今の野党にはとてもじゃないが任せられない。失敗の責任を取らない人たちがあぐらをかいているから。今の野党とは別の政権担当勢力を準備する努力が国民には求められている。困難な作業だが、未来のために何とかして準備しなければならない。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

議事録を残すこと

 

こさいたろうの視点・論点 0143

2020/06/07

 

議事録を残すこと

 

  • 政府は3月、行政文書管理ガイドラインに基づき、コロナ対応を「歴史的緊急事態」に初めて指定。将来の教訓として公文書管理を徹底すると決定した。安倍晋三首相は「適切に、検証可能なように文書を作成、保存している」と強調していた。(秋田魁新報社説より:6/6)

 

しかし、新型コロナウイルス対策専門家会議について、議事概要があるのみで議事録は作成されていなかった。僕は、政府の文言の定義を知らなかったが、議事概要とは発言者が特定されず、結論に至るプロセスを追えないものらしい。

 

  • 専門家会議メンバーも議事録の作成、公開に肯定的だ。尾身氏は「政府が決めて(発言者の)名前を出すなら全然問題ない」、他のメンバーも「議事録の有無にかかわらず、自由な議論をしなかったことはない」「誰がどういう発言をしたか責任を持ちたい」と明言している。(同上)

 

にもかかわらず、加藤勝信厚労相は議事録を作成しない理由について、「自由かつ率直に意見してもらうため」と説明したという。この政権は、すべての国政運営が国民の負託を受けて行われているという認識が薄すぎる。その重要性の認識がまるでないと指摘せざるを得ない。首相が、「適切に、検証可能なように文書を作成、保存している」と発言をしても、その言葉はまるで重んじられない。そもそも、首相の本気度を役人に見透かされているともいえる。

 

  • 菅官房長官は閣議のあとの記者会見で、記者団が「政府の専門家会議で議事録が作成されておらず、こうした消極的な姿勢で後世の検証にたり得るのか」と質問したのに対し、「専門家会議は、ガイドラインの『政策の決定または了解を行わない会議』に該当する」と述べ、議事録を作成していないことを明らかにしました。そのうえで「専門家に自由かつ率直に議論していただくために、発言者は特定されない形だが、議事概要は作成して公表している」と述べ、ガイドラインに沿って、適切に対応しているという認識を示しました。(NHK NEWS WEBより:5/29)

 

菅官房長官は、議事録作成が必要ではないかという声が高まってきたにもかかわらず、議事録不要を明言していることになる。僕は、安倍政権のこの体質は致命的だと断じたい。森友事件にかかわる公文書改ざんも、桜を見る会の推薦名簿加工も、厚労省不正統計問題も、根っこは同じ。

 

僕が地方政治にかかわっている時も、議事録を残すかどうか、ことあるごとに役所とやりあったことを思い出す。政策決定過程をなるべく記録に残さないことで、後から責任を問われにくくするようにする役人のサガのようなものを感じたことを覚えている。でも、先述の通り、政治は主権者である国民からの負託を受けて行われている。その情報はすべて主権者のものと肝に銘じなければならない。行政の持つ情報は「原則公開」が大前提なのだ。「どこまで公開するか」ではなく、「公開しない例外はどこか」という視点で語られなければならない。

 

コロナ禍という緊急事態時において、「ちょっとおかしいな」と思いながら記録を軽視する政権を野放しにしてきてしまったツケは、国民が払わねばならない。4月7日の記者会見。イタリア人記者の「失敗したらどういう風に責任を取りますか?」との質問に対し、安倍首相は「例えば最悪の事態になった場合、私が責任を取ればいいというわけではありません」と答えた。責任を負う気がない人だから、記録にも無頓着でいられるのではないか。

 

今からでも省みて、まともな政治を取り戻す努力をしなければならないのだと感じる。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

香港国家安全法

 

こさいたろうの視点・論点 0142

2020/06/07

 

香港国家安全法

 

5月28日、中国で「香港が国家安全を守るための法制度と執行メカニズムに関する決定」が採択されたとのこと。

 

  • 【SankeiBiz】によると、全人代常務委員会が制定する香港の国家安全法では、国家分裂、政権転覆、組織的なテロ活動など国家の安全に重大な危害を与える行為・活動や、外国勢力による香港への干渉が禁止されるとのことで、具体的には、(1)反中国共産党デモを行う(2)香港独立や英領香港時代の旗を掲げる(3)新聞や出版、ネットを通じて「共産党独裁反対」「中国の民主化要求」「天安門事件の真相究明」などを主張する(4)外国の議員との面会や、海外で香港問題への支援を求める講演を行う-ことなどが罪に問われる可能性があるという。また、このほか、(1)中国の国家安全当局は香港に出先機関を設置可能(2)香港行政長官は国家安全教育を推進することになる。香港の外国人裁判官が国家の安全や治安に関する審理を担当できなくなる-との報道もある、と報じている。

 

それに対し、

 

  • 【AFP】によると、英、米、カナダ、オーストラリアの4か国は28日、中国が香港に「国家安全法」を導入する方針を決定したことについて共同声明を発表し、国際公約に真っ向から違反すると主張した。 4か国は声明で、「香港に新たな国家安全法を導入するという中国の決定は、法的拘束力を持ち、国連(UN)にも登録されている英中共同声明に基づく国際的な義務に直接抵触する」と指摘した。 さらに、1997年に英国から返還された香港の特別な地位に言及し、「国家安全法は一国二制度の枠組みを弱体化させる」とした。 4か国は、「この措置が香港社会に既にある深い分裂をさらに深めることを非常に懸念している。国家安全法は、香港における相互理解の構築や、和解の促進の役には立たない」と指摘。「世界が(新型コロナウイルスの)パンデミック(世界的な大流行)に集中するには、各国政府に対するより一層の信頼と国際協力が必要だ。中国政府の前例のない行動は、逆の結果を招く恐れがある」と述べた、と報じている。

 

そして、6/7、「日本、中国批判声明に参加拒否 香港安全法巡り、欧米は失望も」と共同通信が報じた。

 

  • 【ワシントン共同】 香港への国家安全法制の導入を巡り、中国を厳しく批判する米国や英国などの共同声明に日本政府も参加を打診されたが、拒否していたことが6日分かった。複数の関係国当局者が明らかにした。中国と関係改善を目指す日本側は欧米諸国に追随しないことで配慮を示したが、米国など関係国の間では日本の対応に失望の声が出ている。新型コロナの感染拡大などで当面見合わせとなった中国の習近平国家主席の国賓訪日実現に向け、中国を過度に刺激するのを回避する狙いがあるとみられる。ただ香港を巡り欧米各国が中国との対立を深める中、日本の決断は欧米諸国との亀裂を生む恐れがある。

 

 

なぜ、日本政府は共同声明に加わらなかったのか。本当に、習近平氏訪日実現に配慮しての決定なら、言語道断ではないか。僕は好きな言葉ではないが、いつも安倍首相が口にする「価値観を共有する国々」の打診だったはずで、なぜ断ったのか、国民に対して明確な説明が必要だ。もとより、共同通信が報じなければ打診を受けていたことすら国民は知りえなかったはずで、なぜ打診を受けた事実を伏せたのか、その点についても説明が必要だ。

 

BBCによると、日本の外務省は5月28日、香港は同国にとって「緊密な経済関係及び人的交流を有する極めて重要なパートナーであり、一国二制度の下に、従来の自由で開かれた体制が維持され、民主的、安定的に発展していくことが重要」だとの立場を示した、と報じているが、この時に共同声明に加わらない理由を述べるべきだったのではないか。

 

中国との関係改善を目指すことは必要だが、香港の自由を脅かすような中国の決定に対しては、国際社会と連携して毅然とした姿勢を示すべきだと僕は思う。加えて、この決定に関して、役人の描いたシナリオに政治が追随する昨今の安倍政権の体質が根底にあるのではないかと勘繰っている。

 

官僚主導の政治には、その結果の責任を取る者がいない。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

山里のウィズ・コロナ

 

こさいたろうの視点・論点 0141

2020/06/07

 

山里のウィズ・コロナ

 

緊急事態宣言は解除されましたが、罹患した際の特効薬もワクチンもないので、かかりたくはないよなー、というのが人情です。さらに田舎では、あの家から出たよ、って言われたくないという心理が働きます。私は移住者ですが、今の場所に移って4年目、同じような心境にあります。

 

集落の青年部的な組織の役員をやっているのですが(持ち回りで去年と今年)、屋外での草刈り作業は実施することにしましたが、草刈り後のお楽しみBBQで一杯飲む、は自粛することにしました。実働部隊として取り組む鳥原区の「お盆の夏祭り」も、中止になりそうな様子です。

 

今年は、白州町の地区対抗ソフトボール大会の役もやっていますが、こちらも開催するか現在協議中。上部団体から延期または中止が望ましいというような意見が寄せられ、各地区の意向を確認しようという段階です。長年続いている大会のようですが、初めての事態のようです。

 

さらに、今年は息子の所属する「テニススポーツ少年団」の保護者会長も引き受けています。これも、持ち回りです。予想だにしない大変な時期に、よくもここまで持ち回りの順番が重なったものです。完全に順番、正直言うと「ついてない」としか言いようがありません。

 

テニスのスポーツ少年団の方は、6月6日より練習を再開することにしました。この地域では小中学校も通常通りの再開となっており、それに準じてという判断です。ご家庭ごとにお考えに違いもあるため、出欠はご家庭にお任せし、今年だけは皆勤賞の設定をなくしました。

 

また、団で体温計を購入し、練習前の計測、体調の確認、手指の消毒を行うことなどを決めました。昨日が練習再開初日でしたが、用事のある一人を除き、練習参加となりました。約3か月ぶりでしたが、みんなとても楽しそうでした。その姿を見ると、できるだけ開催したいという気持ちになります。

 

なるべく距離を取るなど指導者の方々にはかなりの負担がかかりますが、快く引き受けてくれており、頭が下がります。自信をもって「大丈夫」と言えない自分に一抹の不安は残りますが、当面、感染拡大防止を徹底し、練習を続けようということになりました。

 

私が関わる地域活動の現状を、わかる範囲でまとめてみました。

 

田舎は高齢化率が高い、高齢者が多いことも人々の危機感を高めています。「年寄りがかかると命にかかわる可能性が高い」とよく耳にします。だから、他県からの往来を、都会以上に気にしているようにも感じます。排他的に見えるかもしれませんが、排除の意図というよりも自己防衛の気持ちが強いように感じます。

 

その一方で、都会からの観光客や来訪者によって地域経済が支えられている側面もあります。そこに生活を頼る人々は、「そうは言っても都会の人に来てもらわなきゃ」と思っているのだと思います。立場によって、考え方が大きく異なってしまいます。

 

どこまでが折り合いのつくラインなのか、丁寧に合意点を見出す努力をすること、自分の考えと違っても人それぞれの判断を尊重する度量をなるべく持つこと、そんなことが大事なように思いますが、実際は本当に難しいことです。

 

僕は、「うつらない」「うつさない」を自分のできる限りで取り組んでいくしかないなと思い、生活しています。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

3か月の休校、自宅待機生活

 

こさいたろうの視点・論点 0140

2020/06/07

 

3か月の休校、自宅待機生活

 

いよいよ明日から、中二の息子の登校が再開となります。学校としては6月1日からの再開だったのですが、約半数ずつの生徒が一週間おきに投稿するという対応での再開のため、息子は明日からということになります。思えば2月29日から丸3か月、自宅での生活が続いたわけです。期間に多少の差はあれ、全国の子どもたちが同じ境遇だったということになります。予想だにしなかった出来事でした。

 

いろいろありました。なにせ、思春期になる中二男子が、ほぼずっと家にいるわけですから。朝起きない。勉強しない。パソコン、スマホ、テレビばかり見る。家の手伝いもなかなかしない。親は家とその周りが仕事場なので、否応なく目に入り、そしてどなる。どなられた息子は嫌な思いをし、どなった父も自己嫌悪。休校当初はそんな繰り返しでした。

 

もともと、宿題なし、無理に家で勉強しなくてよい、塾は行かせないで、という学校に通っているので、3月中は学校からの指示というか指導は全くなし。公立学校のことを聞いたりニュースを見たりすると、宿題どっさりとか、オンライン授業とか、やることを用意してくれるのがうらやましくも感じてしまうところもありました。

 

ふだん、学校を信じて息子の教育を全面的に任せているわけですが、学校に行かない(行けない)となると、英語や数学といった教科の学習機会はなくなります。中学生のこの時期に、何か月も家にいて、英語も数学も何も新しいことを教わらずに過ごさせていいのか、悩みました。

 

平時なら、伝えてもらわなくても以心伝心、子どもが毎日楽しみに学校に通う姿を見て、それだけで安心できるわけですが、この休校によって、その確認ができなくなってしまいました。そして、ある出来事をきっかけに、「何にもやらなくて大丈夫!」って言ってくれ、と学校に手紙を送りました。4月中旬のことでした。

 

中学の校長さんから返事がきました。正直、「なにもやらなくていい!」と明確には言ってくれませんでしたが、信じて学校に任せてくれていい、という趣旨の内容であり、これらの手紙のやりとりが意を決するきっかけになりました。多少学習の機会がなくなったり遅れたりしたって大丈夫だと、思えるようになりました。コロナ禍があって改めて、子どもの意欲を最も大切にする学校に通わせていることを強く認識することができました。

 

3か月、振り返ってみれば、息子の成長もあったように感じます。まわりから「また背が伸びたね~」と言われるような身体的成長もありますが、悩みながら、たまに幼いところに戻りつつも、自立・自律をしようとしている姿が見えるようになりました。起きた後ボケっとしていることはともかく、ほぼ必ず、起こされなくても6時半に起きることに成功しています。自分で決めた時間です。もしかすると、中2くらいじゃ当たり前じゃん、と言われてしまうかもしれませんが、我が家族としては革命的な出来事なのです。

 

それと、昨夏に作ると言って材料を買い、そのまま放置されていた「鍋置き棚」をこの期間に完成させました。いやいやなところもあるにせよ、畑も何度か手伝ってくれましたし、みそ工房づくり(DIY)も私の仲間と一緒にやりました。集落の子どもたちとたまの土日の午後屋外で遊び、友情を深めた様子です。勉強はほとんどしませんでしたが、振り返ってみれば、いろいろやっていたように思います。

 

僕は、「息子との最後の濃密な時間」を、神様から貰ったのではないかと感じています。コロナ禍がなければ、この時間はありませんでした。父のダメなところばかり似る我が息子の姿を日々目の当たりにして生活できること、その時はめんどくさいしイライラもするけれど、幸せなことと後からしみじみ感じます。

 

根拠なき推測ですが、おそらく学校が始まれば、これまでバネを縮めていた分、弾けるように成長していくことでしょう。もう、一緒に田畑に出ることはもしかしてないかもしれません。でも、この春の出来事を大切な思い出にできるよう、お天道様が計らってくれたように感じるのです。

 

息子は、明日から学校に通うこと、少し戸惑いながらも、楽しみな様子です。

 

父の備忘録。失礼いたしました。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

コロナ禍に思うこと、雑感

 

こさいたろうの視点・論点 0139

2020/06/07

 

コロナ禍に思うこと、雑感

 

「こさいたろうの視点・論点」、4月6日以来、発行が滞ってしまいました。誠に申し訳ございませんでした。今号よりしばらくの間、ペースを上げて筆を進める所存でございますので、何卒お許しくださいますよう、伏してお願い申し上げます。

 

いわゆる「コロナ禍」は収束の見通しは見えず、目に見えないウイルスを気にかけながらの毎日が続きます。発表される感染者の数字などを見ると、「少し気を付けていればかからないのではないか」とは思うものの、もしかかってしまったらそのまま隔離は嫌だなぁ、万が一命の危険にさらされても身内にも友達にも会えず一人ぼっちで逝くしかないなんて悲しすぎる、自分がかからずとも親や子や大切の人がそうなってしまったら、などと考えると、やはり念には念を入れて、「うつらない」「うつさない」を徹底したほうがいいよな、という心理が強く働いてしまいます。

 

その一方で、知り合いの飲食店主さんやホテルの経営者さん、従業員さんなどの皆さんが置かれている状況を考えると、今のままが続いて経済は本当に持ちこたえられるのか、外出自粛、往来の自粛を続けていていいのか、考えさせられます。終着点が決まっていて、その間何とか持ちこたえられればいいというのならともかく、特効薬やワクチンができない限り、人々が「うつらない」「うつさない」心理で行動してしまうことは抑えることができないわけで、かなり長期にわたり「自粛状態」が続いてしまうものと思うのです。

 

さて、本当に困ったことになりました。社会の構造を根本的に見直さねばならない、新型コロナウイルスの蔓延は、もしかするとそれを促しているのかもしれません。役所や専門家が言う「新しい生活様式」なんていうチャチな新しさではなく、もっと大掛かりな社会変革を。

 

政治家も役所も、ここぞとばかりに「金を配る」ことに走っています。不要とは言いません。当座、生活に行き詰ってしまう人たちが多く出ることが想定される中、ある程度は必要だと思います。でも、いつまで続ければいいんでしょう。いつまで続けられるんでしょう。それに言及する政治家、僕には見えません。

 

田舎の畑の傍らに、山本太郎さんの政党のポスターがあります。「金を刷れ、皆に配れ」とあります。ある程度、緊急的に行う必要はあるでしょう。でも、どれだけやるの、いつまでやるの、札を刷りまくったらあとで大変なことにはならないの、疑問だらけです。

 

ニュースによると、私の住む北杜市では、市民に一律5万円の商品券と3万円の現金を給付するのだそうですよ。さらに子育て世帯にはプラスアルファ。そりゃ、ありがたいので頂いてしまいますが、慢性的に財政難の様子の北杜市でそれだけ配って、回収の見込みはあるのでしょうか。政策目的とその効果検証の方法、財源、よく考えねばならないのではないでしょうか。もらってしまう僕に言う資格はないかもしれませんが、それでもそう思います。ちなみに、11月に北杜市長選挙が予定されています。

 

東京都知事についても、僕はどうかな、って思ってるんです、実は。確かに今は頑張っているのだと思います。感染が拡大しないように自らが声を発し、困っている人たちに手を差し伸べる施策も打っているとは思います。でも、3月の中旬過ぎまでなにをやってましたかね。小池の「こ」の字も出ていなかったように記憶しています。都知事再選に向けて、自民党本部の二階幹事長と頻繁に会って都議会自民党を抑え込む、といった動きのみが見えていたように記憶しています。東京五輪延期を決めた直後から、「感染爆発・重大局面」のボードを掲げて、突如として現れた印象しかありません。なぜもっと早く動かなかったのか。いずれよく検証されるべきだと思います。僕は、コロナ対応が遅れたことも、その後の大盤振る舞いも、自分ファーストに見えてなりません。

 

文句ばかり並べてしまいましたが、どんな状況であっても自由に批評ができる社会は維持していかねばならない。僕はそう言い聞かせながら、これからも筆をとろうと思っています。拙文ですが、お付き合い賜れば幸いです。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

手間暇かける現金給付(コロナウイルス対策)

 

こさいたろうの視点・論点 0138

2020/04/04

 

手間暇かける現金給付(コロナウイルス対策)

 

4月3日、安倍首相と岸田・自民党政調会長との会談で、現金給付・一世帯あたり30万円の方針が固まったようです。岸田氏によると金額の根拠は、「さまざまな議論の結果で、日本の世帯の人数など、さまざまな観点から出てきた数字だ」と。まず、こんないい加減な理由付けでよいのでしょうか。

 

さらに、岸田氏は、「スピード感が大事だと強く申し上げ、迅速に支給することが大事だと強調した。詳細は政府でしっかり詰めてもらいたい。経済対策の全体の規模と、ほかの課題は、週末にかけて政府としっかりと調整していきたい」と述べたと言います。

 

以下、NHKの報道より。「政府は今後、現金給付の対象範囲など具体的な制度設計を詰めたうえで、来週前半にも取りまとめる緊急経済対策に盛り込むことにしています。そして、今年度の補正予算案を編成して速やかに国会に提出し、大型連休前の成立を目指す方針です。」

 

これ、スピード感あるでしょうか。迅速に支給することになるでしょうか。平時の対応の域を出ません。平時、少し頑張って早くしたという程度。実情が見えているとは思えません。永田町の箱庭からしか世の中が見えていない証左ともいえます。

 

仮に、GW前に補正予算が成立しても、安倍・岸田会談で示された方針でいけば、給付の可否の審査・判定作業がそのあとに入ります。こんな状況でどうやって「一定水準まで所得が減少した」と証明することができるのでしょうか。平時と同じように、役所の窓口に出向けということでしょうか。窓口で濃厚接触でしょうか。

 

そして、給付は世帯単位。一人暮らし世帯でも大家族でも、一律世帯単位。不公平極まりない制度になるのは目に見えています。戦前までの「家制度」を中途半端に引きずってきた日本社会の弊害。個人を最小単位とした政策が打てない、危機の中、致命的だと思います。

 

全国民に一律10万円を給付、さまざまな識見者が提言しています。私も同感です。煩雑な審査や判定の作業も不要です。お金持ちにも配るのは如何か、という声もありますが、そんなことを言っている場合でしょうか。多くの国民に、外出制限がかかる中でも何とか持ちこたえてもらうことが最優先なはずです。

 

とにかく、日本の行政は、役所の「しごと」が確保されるように制度設計される傾向があります。今回の給付施策で言えば、「収入の減少の確認作業」という膨大な行政コストが発生します。先に実行されてしまった消費税増税でも、軽減税率という二重課税制度で役人の裁量権を確保しています。また、世帯への現金給付とは別ルートで、個人事業主に100万円、中小企業に200万円の現金給付も検討中とのこと。これは私が思うに、平時の縦割りそのもの。経産省の仕事確保、権限・権益確保にしか見えません。なぜ統合パッケージ化できないのか。

 

だから、このような緊急事態の際も、同じような対応しかできないのだと思います。私は、安倍政権の緊急事態対応、役人が振り付けているように見えてなりません。小さな布マスクをつけて「2枚配ります!」と自信満々で話す安倍首相の映像を見ると、マリオネットのように見えて悲しくなります。

 

布マスク2枚配る、なんていう発想、霞が関の高級官僚から出てきたにしても、まともな政治家なら「今じゃない」ってわかるはず。裏を返せば役人の言いなり。役人がアイデアを出すのはいいんだけど、取り入れるかどうか判断するのが政治家の役目でしょ、と思うのです。

 

つまり、人事権を掌握し政治主導をしているように見せかけて、実は、役所が官邸をコントロールしていることが、この危機的状況の中、浮き彫りになってしまったように感じます。首相だけでなく、たくさんいる閣僚も雁首揃えて、布マスク2枚配布を異議なく了承したわけで。かなり末期的症状です。

 

B29に対抗して竹やり訓練した、という太平洋戦争時の出来事に重ね合わせて語る論調もありました。竹やり訓練の時代、それへの反対意見は封じられていました。今はまだ反対意見を自由に表明できます。それだけでもまだ未来への可能性を感じます。ただ、先の戦争前夜も、あるころまでは国民が自由に発言していたものの、一つの敵に立ち向かう方向に社会が収束する中で、社会全体が不自由な方向に収斂していってしまったという歴史があります。しかもそれは、軍部の暴走が理由とされることも多いですが、それだけでなく、国民自らがそのような世論を作り上げていったことも分かっています。

 

なので、自らと異なる意見であったとしても、このような緊急事態にあっても、さまざまな声が自由に表明される社会、それだけは絶対に守っていかねばならないと、強く感じます。

 

今は、役人の平時感覚を追認している政府を我々が持っている以上、それを批判し方向転換させる議論が極めて重要だと感じています。社会に及ぼす力はほとんどありませんが、意見表明致します。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

     

 

 

赤木俊夫さんの遺書(森友問題は終わっていない)

 

こさいたろうの視点・論点 0137

2020/04/04

 

 

赤木俊夫さんの遺書(森友問題は終わっていない)

 

週刊文春の3月26日号に、「森友自殺〈財務省〉職員遺書全文公開 『すべて佐川局長の指示です』」が掲載されました。執筆は大阪日日新聞の相澤冬樹氏。森友事件取材時に記者を外されNHKを退職したジャーナリスト。週刊文春は完売を受け、異例の全文公開をしました。https://bunshun.jp/articles/-/36818

 

遺書は、衝撃的です。なぜ公文書を改ざんしなければならなかったのか、そして自死に至らざるを得なかったのか、その経緯が極めて克明に記されています。安倍首相の「国会議員も辞めます」発言をきっかけに、佐川理財局長(当時)の指示で、公文書改ざんが始まった、と。

 

私としてはこの遺書に触れ、森友事件のモヤモヤとした霧のようなものが晴れていく気がしました。公文書改ざんは認めたものの、おざなりの内部調査で軽微な処分にとどまり、なぜか検察も不起訴に。佐川氏はその後国税庁長官に出世し、退官。誰も本当のことを語らない、誰も責任を取らない、そんなふうに見えていました。

 

でも、改ざんに手を染めてしまった自らを責め、自ら命を絶ってしまうこととなった赤木さんが遺書という形で、事件の経緯を残してくれていたわけです。自分の命と引き換えに薄汚れた政治・行政の実態を告発したと言えます。なかったことにしてはなりませんし、極めて重く受け止める必要があるはずです。

 

政治家の関与により不当に国有地が売却され、政治家の発言をきっかけにその経緯を記した公文書がいとも簡単に改ざんされる、その後も関係書類が破棄され改ざんの隠ぺいが重ねられていく。こんなことを許していいはずがありません。

 

今は新型コロナウイルスの終息に向け全力を挙げる時ではありますが、絶対に忘れたりうやむやにしたりしてはなりません。百歩譲って、遺書の内容は一方の側からの告発なので、当事者の反論があれば受けねばなりません。だから、コロナ終息後には速やかに再調査すべきなのです。それだけ重大な新証言なのです。

 

しかし、麻生財務大臣は、「新たな事実が判明したことはない」「(18年6月公表の)財務省の報告書に尽きる」「再調査を行う考えはない」と再調査を拒否。安倍首相も麻生氏と同じ内容を繰り返すばかり。これが最も大きな問題の一つだと私は捉えています。

 

そもそも、公文書改ざんを実行した組織の長である麻生大臣、責任らしい責任も取らずにその席に居座っていること自体、異常です。しかも、赤木さんの遺書にも「新事実なし」と居直る神経が、私にはどうしても理解できません。堂々と再調査に踏み切れないところに、真実の一端が見えるものと思います。

 

忖度。政治と行政の間には、少なからずそんなこともあるでしょう。議会での発言や議論を受けて、行政が政策立案したり業務を見直したりすることはあります。むしろそれは当然かもしれません。でも、説明できないこと、ましてや法令に反するようなことはご法度です。

 

一線は越えない。これは、多くの場合、政治家も官僚・役人も自らを律し、自制していること、私は経験からわかっているつもりです。ただ、まれに一線を越えてしまうようなことも見聞きしてきました。表に出ないことが多いですが、表に出たら潔く腹を切るしかないはずです。あるいは、責任を取りつつ戦うか。

 

安倍政権。この種の疑惑が多すぎます。そして、責任を取らない政治家が多すぎます。森友事件、加計疑惑をはじめ、毎月勤労統計の数値操作、桜を見る会問題も見過ごされていいわけがありません。詳しくは記しませんが、すべて広く忖度案件と言えます。

 

また、もうだいぶ忘れるくらい積み重なっている政治家の不祥事。選挙区で金品を配る、公選法を無視して選挙をする、カジノ関連の外国企業からの献金・接待を受ける、口利きを重ねる、などなど。これらの政治家は、十分な説明責任は全く果たしていると言えないし、相応の責任を取ったとも言えません。

 

私は、日本国の指導者層が責任を取らない体質であるから、だれも責任を取らないことになってしまうのだと思います。河井夫妻も国会におりますし、秋元さんも、菅原さんも、甘利さんも、みんな、国民に納得いく説明はせずに、国政の自席に座っておられます。やっぱり、どう考えてもおかしいです。

 

話を元に戻し、赤木さんの遺書公開を受けての森友事件の真相究明、あくまでもやらないというのであれば、それをやる勢力に交代をしてもらうしかない。その勢力は、国民が作るしかない。今はできないけれど、決して忘れてはならないと思います。

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

     

 

休校つづく・いっそ夏休みまで休校もあり?

 

こさいたろうの視点・論点 0136

2020/04/04

 

 

休校つづく・いっそ夏休みまで休校もあり?

 

【 息子の学校の動き 】

 

2/27(木)政府が学校の休校を要請

2/28(金)3/2~3/15の休校を決定

3/6(金)3/16からの再開を検討中、卒業を祝う会は3/21に変更を予定、3/13最終判断の予定

3/13(金)休校を春休みまで延長、卒業を祝う会は中学生のみ3/19に

3/19(木)卒業を祝う会(中学生)

4/1(水)休校延長決定、4/19(日)14:00~再開予定、4/10頃再連絡予定

 

これが、うちの息子の学校の、休校に関するこの間の経緯です。小中学校一体、半分が寮生で、残り半分も電車等の通学生である学校のため、公立学校とは対応が違いますが、一貫して休校であることは同じです。

 

子どもは一か月以上、ずっと在宅です。たまに近所のテニスコートで少人数の友達と練習、ごくたまに買い物に連れ出す、以外は家にいます。三食食べます。この半年くらい食べる量が増えています。宿題のない学校なので、話に聞くような山ほどの課題やオンラインの授業などは全くありません。学校から「過ごし方」の助言や指導もありません。でも、まだ中二なので朝早起きはできません。学校に行かなくていいのでますますです。運動もあまりしないし、友達にも会えないし、CPやテレビ、スマホからどうしても離れられないし、かといって家の手伝いはすすんでしない。父は家が仕事場なので、年がら年中、いやでも目に入ります。なので、どうしても小言が出てしまうし、どなってしまうこともしばしば。そのあとで、自己嫌悪。そんな一か月を過ごしています。息子を始め子どもたちが最もかわいそうなことに違いありませんが、親の心にも徐々に影響が及んでいることを実感します。仕事のスピードは落ちていますし、酒量は若干増え、過食気味でもあり、夜の寝つきが悪くなってきています(眠れてはいますが)。ほかの家は、ほかの親は、皆さんどうなのかなぁと思いつつ、なんだか聞きにくいし。やり場のない辛さが続く毎日です。どうやって気持ちを切り替えられるか、考え中です。

 

息子は、このボロ家が好きなようで、実はなんだかひょうひょうと暮らしています。学校が休みの間、寝たいときに寝て、起きたい時に起きる、勉強はしない、やりたいことだけやる、っていうので本当にいいのか、いろいろ話し合って、学校の一時限に合わせた簡易時間表を作って過ごすことを彼は決めました。なかなか決めた通りには行きませんが、それでも、それを気にかけながら、数学とか社会とか国語とか体育とか言いながら何かしらやって生活しているのは、新中二としてはまあまあ偉いのかもしれない、と最近思って接しています。こんなに自然に囲まれた環境なのに、テニス以外は外に出ないタイプですが(苦笑)

 

学校以外の活動として、硬式テニスのスポーツ少年団に所属しているのですが、そちらも活動自粛が続いています。順番で、今年度の保護者会長をやる予定なのですが、総会も開けず宙ぶらりん。春の親子レクリエーションの準備だけは進めていたものの、北杜市から感染者が出て、万事休す。普段の生活を当分あきらめ、自分たちの健康を、とりわけ命を守るために最大限の努力を払わねばならないと、他の親の方々と確認しあいました。

 

こんなふうに過ごしながら、考えました。

 

息子の学校、今のところの再開予定は4/19。でも、ニュースで見る日本全国の現状、世界の現状はそんなに甘いものではないというのが肌感覚です。特に日本は、医療崩壊を防止するという観点から(?)、検査の数がとても少ないわけです。発症していない感染者がどれだけいるか、全くわからないわけです。とすると、感染が終息するにはかなりの長期になる可能性が高いと思うのです。それならば、数週間先を開校予定に設定し期待を持たせながら、また延長また延長となってがっかりが続くよりも、もうここは腰を据えて「夏休みまで登校停止」くらいの大胆な決定が必要ではないでしょうか。中途半端に平常の再開を目指し続けるより、新しい環境を作る方がよいのではないでしょうか。そうなれば、家での学習をどうするか、運動不足にどう対応するか、濃厚接触にならないような登校日の設定を考えるとか、数か月学校に行けない前提でいろいろなアイデアを出し合い、実行しやすくなるのではないでしょうか。これを機に、オンラインを活用した授業をスタンダードにするくらいの意気込みでやればいいと思います。息子の学校の「卒業を祝う会」がZoomというシステムでオンライン中継されたことも、こんなことを考える大きなきっかけでした。

 

逆転の発想で活路を見出すことを考えるべき、そんなことを思う毎日です。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

     

五里霧中な日々3  スポーツのこと

 

こさいたろうの視点・論点 0135

2020/03/16

 

 

五里霧中な日々3  スポーツのこと

 

 

大相撲。無観客興行が決まり、中日(なかび)まで来ました。主にラジオ中継を聞いていましたが、多くの方の指摘の通り、「音」が際立っています。いつもはほとんど聞こえない音です。手を打つ音、四股を踏む音、力士同士があたる音、土俵下に落ちる音、時には怪我につながっているような鈍い音も(これは聞きたくありませんが)。呼び出しや行事の声、節回しも、はっきりと耳に届きます。相撲はスポーツという範疇にはなく、神事に端を発しているというふうに思っている私は、それらの「音」を通じて、その思いを強くしています。

 

春場所初日、八角理事長は恒例の挨拶をしましたが、その内容は異例なものでした。

 

『古来から力士の四股は、邪悪なものを土の下に押し込む力があると言われてきました。また、横綱の土俵入りは五穀豊穣と世の中の平安を祈願するために行われてきました。力士の体は、健康な体の象徴だともいわれます。床山が髪を結い、呼出が拍子木を打ち、行司が土俵をさばき、そして、力士が四股を踏む。この一連の所作が、人々に感動を与えると同時に、大地を鎮め、邪悪なものを押さえこむのだと信じられてきました。こういった大相撲のもつ力が、日本はもちろん世界中の方々に勇気や感動を与え、世の中に平安を呼び戻すことができるよう、協会員一同、一丸となり、15日間、全力で努力する所存でございます。』

 

こんな時こそ、無観客であれ、仮に中継ができなくても、大相撲を挙行し、大地を鎮めんとすべきだったのだなぁ、としみじみと思います。これは、大相撲とスポーツと捉えると理解できないかもしれませんが、そうではないということを改めて認識する機会になったものと思っています。力士が健やかに取り組みを進めてくれることを祈っています。

 

一方で、野球についても大きな話題になっています。プロ野球は、コロナウイルスの感染が終息に向かうまで開幕を延期するということになりました。学校でさえ一斉休校されている中、やむを得ないと思う反面、職業野球でもあり、終息の方向が見えるなら、まずは無観客での開幕が検討されてもいいような気もします。テレビやネットでの中継が可能であり、閉塞する社会を元気づけることになると思うのです。これは他のプロスポーツにもあてはまると思います。

 

実は、うちでは、父子の数少ない楽しみヤクルトスワローズの応援で、開幕シリーズ、神宮球場に行く予定でチケットを準備していました。息子がおじさん応援仲間を募り、自分で初めてチケットを買った記念すべき観戦だったので、中止となり二人で悔しがっています。早く終息して、再度観戦に行ける日を楽しみに過ごしています。

 

もう一つの野球、高校野球、春のセンバツです。高野連は中止を決定しました。ネットでの発信を見ても、賛否両論渦巻いています。これは、有無も言わさず高野連の決定以外にないと私は思います。NHKで全試合生中継されていることをはじめ、日本では特別な扱いにはなっていますが、高校生の野球大会なんです。そして、いま日本では、小中高校は全校休校状態なんです。開催の選択肢はないはずです。プロのオープン戦に準じて無観客で、などという意見もあるようですが、甲子園までの移動、宿泊なども生じるわけです。私はこれを機に、特別扱いの日本の高校野球のあり方を改めて見直してみることが必要だと思います。特別扱いの恩恵を受けている多くは、大人だと思うので。

 

スポーツに関しては、皆さんの中でも様々なご意見があるものと思います。何が正しくて、何は間違いか、一つの答えを導くのは容易ではないと思います。したがって、異論の決定であっても、スポーツのことですので、口汚く罵ることなく、早くいつもの姿に戻ることをまずは願うことが大事ではないでしょうか。この有事を経て、平時の時にこそ、喧々諤々の大議論をして、改革すべきところを改革しなければならないと思います。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

     

 

 

 

 

 

今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。

現在、数十人の皆様にご購読料(発行協力費)を頂いております関係から、公式サイトには原則冒頭部分のみ掲載させて頂きます。誠に恐縮に存じますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。ただし、時勢や内容等によっては全文公開する場合がありますこと、ご購読者の皆様にはご了解賜りたく存じます。

ご購読下さる方は、こさい宛てご連絡ください。月額500円(一口)をお願いしております。電子メールにて全文お送り致します。

政治の現場を離れて4年、内容的に皆様にご納得頂けるものが書けるか、いささか不安ではありますが、これまでの自らの政治活動を思い返しながら、頑張ります。また、いずれ、ご購読者の皆様に見える形の双方向のやり取りができるようなオンラインサロンのようなものの立ち上げも考えています。

五里霧中な日々 ② 世代分断

 

こさいたろうの視点・論点 0134

2020/03/16

 

 

五里霧中な日々 ② 世代分断

 

 

とても残念な以下の記事を見つけてしまいましたので、全文ご紹介します。一斉休校政策の負の影響だと思います。高齢者の一部だとは思うものの、「通報」する行動が信じられません。感染・発症すると重症化しやすい高齢者の皆さんがあまりで歩かなくてよい方策を考える方が先、のように私は思っています。前号で意見を書きましたが、子どもに「一か月以上家に籠れ」というのは、苦行であり、拷問と言っても言い過ぎとは言えないと私は思うのです。

 

 

コロナ休校、世代分断 親世代「緩和を」 高齢者「順守を」

2020/3/15 4:00 (2020/3/15 4:36 更新) 西日本新聞 熊本版 長田 健吾

 

 新型コロナウイルスの感染拡大防止策として熊本県内の小中高校で続く臨時休校。いつもの春休みと大きく違うのは「自宅待機」の原則の存在だ。子どもたちはストレスを感じ、心配する子育て世代は「原則」の緩和を求める。一方、高齢者の視線は厳しく、熊本市教育委員会には、出歩く子どもたちをとがめるかのような「通報」が相次ぐ。15日で休校2週間。世代間の分断が見え隠れし始めている。

 

 「外出はだめだと分かっている。春休みまで我慢しようと思っていたけど…」。12日午後2時ごろ、同市のアーケード街。小学5年の男児2人が打ち明けた。「お金はないし、特に目的もない。でも、ずっと家にいるのはきつい。気分転換で、とりあえず来ただけ」。親は黙認したという。

 

 休校期間中でも、街では子どもたちの姿をよく見かける。市教委が12日の会議で明らかにした休校措置に関する中間報告によると、臨時相談窓口への相談は46件(11日正午現在)。学習面の相談はほとんどなく、「子どもの外出」に関する通報ばかりだという。

 

 通報者は主に高齢者。大半が「中心市街地やカラオケで子どもを多く見かける」「一斉休校の趣旨を周知徹底して」という内容だ。会議では「家の前で子どもが遊んでいると、隣の家の高齢者から雨戸を閉められた」との事例も紹介された。市教委は「感染すると重症化のリスクが高い高齢者の不安の現れ」とみる。

 

 一方で、子育て世代からは「自宅にこもりっきりだと、ストレスが心配」と自宅待機の緩和を求める声も寄せられている。市は、「自宅に子どもだけ置いておけない」という家庭の受け皿として、児童育成クラブ(学童保育)を午前中から利用可能にし、受け入れ態勢も強化するなど対策を取ってきた。

 

 ところが、利用率は低迷している。通常は学童保育登録者の7割が利用しているが、休校期間中は4割ほどに低下し、退会者も出ているという。市教委は「人が密集する学童保育を敬遠したようだ」と分析する。

 

 留守番続きのストレスを抱え、気分転換に外出する子どもたち。子どもの感染や心の負担を不安に思う子育て世代。感染リスクに敏感になり、外出をとがめる高齢者-。

 

 市教委は「どの意見も理解できる。高齢者への配慮、子どもたちの健康の両面を考慮して、対応を検討したい」とする。国は公園などで遊ぶことを一部認める見解を示しているが、市教委は「行っていい場所を指定すると、逆に人が集まるかもしれない」と場所の例示には否定的だ。

 

 外出自粛がいつまで続くのかは見通せない。熊本市の臨時休校は24日まで。そのまま春休みに入る。(長田健吾)

 

 

皆さんはどのようにお感じになられますでしょうか。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

     

 

 

 

 

今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。

現在、数十人の皆様にご購読料(発行協力費)を頂いております関係から、公式サイトには原則冒頭部分のみ掲載させて頂きます。誠に恐縮に存じますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。ただし、時勢や内容等によっては全文公開する場合がありますこと、ご購読者の皆様にはご了解賜りたく存じます。

ご購読下さる方は、こさい宛てご連絡ください。月額500円(一口)をお願いしております。電子メールにて全文お送り致します。

政治の現場を離れて4年、内容的に皆様にご納得頂けるものが書けるか、いささか不安ではありますが、これまでの自らの政治活動を思い返しながら、頑張ります。また、いずれ、ご購読者の皆様に見える形の双方向のやり取りができるようなオンラインサロンのようなものの立ち上げも考えています。

 

五里霧中な日々 ① 一斉休校と我が家

 

こさいたろうの視点・論点 0133

2020/03/15

 

五里霧中な日々 ① 一斉休校と我が家

 

コロナウイルスが、日常を大きく変えてしまいました。ある日を境に激変したわけではありませんが、ちっぽけな我が家の暮らしも、ネットやラジオ、テレビから伝えられる世の中全般も、なんだか大きな船が舵を切るようにゆっくりと、行く先を変えているような、そんな気がします。漠然とした不安が襲ってきます。世界を見渡してみても、我が家の財布の先行きを考えても、最も大きな懸念は「経済への影響」です。経済にどのような影響が及んでしまうのかは、もう少しじっくりと世の中を見て、今後、意見を発したいと思っています。私のような者が論ずるには、今は、ちょっと難しいです。なので、今回は、日常で感じた雑感を記録してみたいと思います。

 

まずは、やはり、一斉休校。3月2日(月)から今日で丸々二週間。息子の通う学校では、一時、3月16日からの一週間再開も検討されていましたが、全国的な感染者数の増加が止まらないことなどから、結局は再開断念ということになりました。3月2日の時点ではもう少しやってみてもよいと思っていましたが、このような現状ではやむを得ないことです。ただ、それにしても、心の準備なく、一か月以上にわたり中一息子が自宅で過ごすことに。

 

世の中では、就学前の子どもたちはどうなるとか、小学校低学年では自宅で留守番できないとか、異論や懸念沸騰。学校休みを要請後、安倍政権は慌てるように保育園、幼稚園は対象外だと。学童クラブは開けますと。学校施設も活用してよいと。世のお母さん、お父さんに反発を買わないような配慮を。何のための一斉休校か、わからなくなる有様。でもね、中学生だってかなり難しいんですよ。自宅に居続けるってことは。

 

中学生にもなれば、ある程度自由にどこにでも行けますが、好きに出歩くこと自体がはばかられるのが今。不要不急の外出は控えて、の声が頭を巡り、結局はどこにも行きにくいわけで。健全な中学生がどこにも行きづらい、友達にも会えない、家に籠るしかなくなってしまい、つまらないから朝寝坊が始まり、運動不足もあり、夜更かしがちになり、親としては「ほんとにこのままでいいの」と頭を悩ませてしまう毎日。

 

私は、家とその周辺が仕事場なので、いつも息子の姿を目にせざるを得ないわけで、だらだら過ごす息子に「なんか自分で考えてやれよ~」と怒鳴ってしまうありさま。息子としても、学校さえあれば楽しい毎日なので、踏んだり蹴ったりかと。親が勤めなどで日中いないような家庭はどうなのだろうか。子どもが自由に過ごす、ということになるのか。それと比較すると自由にでいいか、とも思うものの、見てしまうとですね~、そうもいかず。

 

父子でいろいろ考えた末、できる範囲で規則正しく生活してみることに。午前中を自由時間にして、寝てるもよし、テレビをボケーっと見るもよし。午後、学校の授業に合わせて50分単位で、自主的に運動・学習。夕方から夜も自由だが、なるべくテレビやスマホ・パソコンの画面から離れて、10時には寝る。かなり強く促したところはありますが、本人もやってみようということになり。まだ1日目ですが。

 

二週間の休校を経て、さらに4月の二週目まで約一か月学校に行かないということが決定し、さすがに息子も毎日寝坊じゃまずいと思ったようです。息子の通う学校はいわゆる自由な学校で、宿題がないということも特徴の一つ。数少ない近所のお知り合いの子どもや親に聞くと、公立小中では宿題どっさりなんですって。でも、こんな時は宿題がある方がいいなぁ、といつもとは違うことを思ってしまいます。人間って我儘なり。

 

イライラすることも多い日々ですが、まだまだ幼い感じに戻るときもあり、そんなときは「もうこれが最後かなぁ」と思いつつ、スキンシップを楽しむようにしています。神様がそんな時間を与えてくれたのだ、と思うようにしています。

 

ただ、本当に学校の一斉休校が必要だったかはとても疑問があり、事後でいいからしっかりと検証してほしいと思います。何せ、保育園も児童館も開けて、学童クラブもやり、学校施設で子どもが集まっていた地域もあるわけですから。本当に必要なら、もっと覚悟を持ってやるべきではなかったのか、と私は思います。子どもは学校に行かず家に籠れ、という政策決定は最終最後に、だとつくづく思います。子どもにとっても、親にとっても、想像以上の苦行ですから。

 

そんな中、西日本新聞の記事が目に留まった。悲しい現実が書いてありました。つづく。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

     

 

 

 

 

 

今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。

現在、数十人の皆様にご購読料(発行協力費)を頂いております関係から、公式サイトには原則冒頭部分のみ掲載させて頂きます。誠に恐縮に存じますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。ただし、時勢や内容等によっては全文公開する場合がありますこと、ご購読者の皆様にはご了解賜りたく存じます。

ご購読下さる方は、こさい宛てご連絡ください。月額500円(一口)をお願いしております。電子メールにて全文お送り致します。

政治の現場を離れて4年、内容的に皆様にご納得頂けるものが書けるか、いささか不安ではありますが、これまでの自らの政治活動を思い返しながら、頑張ります。また、いずれ、ご購読者の皆様に見える形の双方向のやり取りができるようなオンラインサロンのようなものの立ち上げも考えています。

非常事態宣言・国会の事前承認は必要

 

こさいたろうの視点・論点 0132

2020/03/15

 

非常事態宣言・国会の事前承認は必要

枝野立憲の限界

 

立憲民主党の山尾志桜里氏は、公然と造反した。 新型コロナウイルスの感染拡大に備える新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正採決。

 

山尾氏の主張は、政府が緊急事態宣言を発するにあたって、現行法では「国会への事後報告」のみを規定しているものを、「事前の国会承認」を義務付けるべきとの、私から見れば至極まっとうなもの。

 

同法は、国会への事後報告さえすれば、適用期間の延長も緊急事態宣言の延長も最長2年可能で、民主的統制が圧倒的に不足している、と山尾氏は指摘。これにも賛同できる。

 

政府が「緊急事態」を宣言すれば、都道府県知事による外出自粛要請、学校など公共施設、映画館など多くの人が集まる施設の使用禁止の指示、民放テレビ局への報道内容への介入も可能とされている。

 

当初、立憲民主党や国民民主党などは、「国会への事前承認」を求めていたが、妥協した。という。以下は、日刊スポーツ(2020年3月12日18時49分)より。

 

『特措法には、国民の私権を制約する可能性もある「緊急事態宣言」が盛り込まれるが、立民や国民民主党などは当初、宣言を行う際は事前に国会による承認(緊急時には事後承認)を明記するよう、修正を求めていた。しかし、与党が難色を示したことで、政府が原則として事前に国会へ報告するという「付帯決議」を行うことで、双方が合意した。付帯決議には政治的な効果はあるが、法的拘束力はない。』

 

枝野幸男代表はじめ立憲民主党の一部からは、現行法でも緊急事態宣言は出せるから今のままで何が悪いのか、私権制限は抑制的、拡大解釈の余地がないなどの言い訳めいた発信をしているが、だから今のままでいいのかといいたい。

 

さらに、立憲民主党国会対策委員長の安住淳氏は、『承認があっても、少数野党ではひっくり返せない』と述べたという。愕然とした。「ひっくりかえせない」と最初から言っていては議員でいる意味はない。たとえひっくりかえせずとも、言論により影響を与えねばならない。力が及ばずとも、採決による態度を明確に示さねばならない。未来のために。それが選ばれし議員の責務なのだ。この発言一つをもって議員としての資格なしだ。

 

調べてみれば、元の「新型インフルエンザ等対策特別措置法」は、2012年、旧民主党・野田政権下で制定されたものだ。旧民主党の幹部たちは、自らが制定した法律に問題があったと認めたくない、との思いがあるのではないかと言われても仕方あるまい。だから、私は、旧民主党政権時の責任者・幹部たちは責任を取り、政治の舞台から退場すべきことを強く訴えてきた。山尾氏も2012年の法制定の際に賛成票を投じたことを明らかにしているが、その上で、『この法律が強い私権制限を可能にすることに気づかなかったからです。この機会に、この反省を生かすべきだと考えています。』と述べている。当時、責任者だった政治家とヒラ議員だった政治家との違いが表れているものと思う。山尾氏、不倫疑惑や領収証問題の際は「この人もか」と思ったりしたが、今回の態度表明は議員本来の存在感を示した。過去の疑惑をきちんと整理して、今後の活躍を見てみたい。

 

さて、一方で、政権側から見ても「国会承認」は、欠くことのできない手続きだと私は思う。与野党にかかわらず、国民の代表者で構成される国会において承認を受けるにあたり、緊急事態を発する背景や根拠、期間や範囲、政権としての姿勢、決意や覚悟を明確、明快に伝えることで国民の理解と賛同を求める機会になるはずだ。さらに言えば、国民の絶大なる共感を基礎としなければ、緊急事態を乗り切ることなどできない。したがって、健全なる政権・与党であるほどに、国会承認という手続きを歓迎すべきなのだ。

 

新型コロナウイルスの感染拡大が進む今、政治への批判などをしている場合ではないという声もあるが、やはり局面毎の思いや意見は述べ合うべきだと思っている。「国難につき口を閉ざす」ということで我が国は破滅的敗戦を迎えるに至ったという歴史を忘れてはならないと思う。また、同じころ他国では期せずして、邪悪な独裁者を誕生させてしまったという歴史も記憶から消し去ってはならないと感じている。

 

自由に意見表明できる社会を保ちながら、新型コロナウイルスにできる限り一丸となって立ち向かうという、難しい道のりを模索し続ける必要がある。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

     

 

 

 

 

今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。

現在、数十人の皆様にご購読料(発行協力費)を頂いております関係から、公式サイトには原則冒頭部分のみ掲載させて頂きます。誠に恐縮に存じますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。ただし、時勢や内容等によっては全文公開する場合がありますこと、ご購読者の皆様にはご了解賜りたく存じます。

ご購読下さる方は、こさい宛てご連絡ください。月額500円(一口)をお願いしております。電子メールにて全文お送り致します。

政治の現場を離れて4年、内容的に皆様にご納得頂けるものが書けるか、いささか不安ではありますが、これまでの自らの政治活動を思い返しながら、頑張ります。また、いずれ、ご購読者の皆様に見える形の双方向のやり取りができるようなオンラインサロンのようなものの立ち上げも考えています。