こさいたろうの視点・論点 0156
2020/09/24
新・国民民主党のこと
合流野党の党名が立憲民主党となりましたが、旧国民民主党のうちの15人が合流を拒否し、新たに国民民主党を結成したそうです。いろいろな報道を見たのですが、なぜ合流しないのか、イマイチよくわかりませんでした。まあ、共産党との協力への抵抗感、原発ゼロへの抵抗感、などなのかな、などと見てはいます。
分党の過程で、榛葉賀津也さんという参院議員の、「私がいまの国民民主党のアイデンティティを引き継ぐ政党から離れる理由は全くない。この新国民民主党は、いまの国民民主党の理念・政策をそのまま引き継ぐ政党ですから、私は引き続きその政党に残りたい」との発言が報道されていました。
この発言を見て、だいぶ昔のことを思い出しました。1996年、今と同じように大きな塊を目指す国会議員たちが民主党という政党を作りました。私は新党さきがけ所属の地方議員でした。新党さきがけから民主党に移る人々が相次ぐ中、私は残留しました。その時、この榛葉さんという人と同じようなことを言いました。
『政界が数あわせの論理で流動化している今こそ、これまで新党さきがけが掲げてきた旗(理念や政策)を鮮明にすべきだと考えます。政党は、同じ志を持つ人々の集合体であるべきです。現実の政治の中では、政党の所属人数が一定の力になる訳ですが、数さえ集まればなんでもいいという論理に私は組みできません。』
当時26歳。だいぶ青臭く少し気恥しいですが、この発言の根底に流れる思いは、今でも変わりはありません。この時は、衆議院に小選挙区制度が導入されて初めての総選挙前夜。あれから24年、いまだに政権交代のための大きな塊づくりが野党で行われているのは喜劇であり、悲劇そのものです。
ちなみに、枝野さんはこの時に新党さきがけから民主党に移っていきました。福山さんは、さきがけからの出馬を予定しつつ、どうしても国会議員になりたくて動き回っている姿を記憶しています。安住さんも、この時にさきがけから民主党に移り初当選しています。立憲民主党の幹部、僕はみんなの当時の姿をよく覚えています。
あれから24年です。その間、2009年には国民の絶大なる期待を受けて政権を取ったものの、全く期待に応えられず下野したのです。責任も取らずに、最前線に居座るこの人々がいる限り、政治の大きな転換は期待できないと私は感じてしまうのです。
農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)