こさいたろうの視点・論点 0031
2017/12/26
大相撲を考える
横綱による下位力士に対する暴行事件。当事者はモンゴル出身の力士。暴行を受けた力士の師匠は日頃から反協会執行部的立場の大横綱。事件直後、何事もなかったかのように横綱出場で九州場所が始まった。そして、場所中の事件発覚。
僕がまず思うのは、暴力を振るうことはあってはならないこと。特に相撲取り、その中でも最高位の横綱。どんな理由があったとしても、このことを外しては行けないと思う。ワイドショーなどでは貴ノ岩の態度を取り上げていたが、どんな態度だったとしても情状酌量の余地はない。
その意味で、日馬富士が自ら責任をとる形で引退を選んだことはやむを得なかったことと思うし、それは潔かったことと思う。むしろ涙を見せながら会見に同席し、未練を感じさせた師匠の姿は、事の重大性を軽んじているようにも見えた。相撲界の将来に不安を感じる。
そもそも、九州場所が始まる前に、日馬富士自身が暴行を認め謝罪の意を表すべきではなかったか。同席した力士の中に、それを促す者は一人もいなかったのか。貴ノ岩が不自然に休場しているのに、当日の暴行を知っている者たちが、何事もなかったかのように土俵に上がっていた訳だ。
相撲協会の執行部も、少なくとも何かおかしいぞ、ということくらい分かっていたはず。表沙汰にならなければいい、くらいの思いがあったのではないかと勘ぐってしまう。自分たちの地位や立場を守ることを優先させたのではないか。人として正しかったか、胸に手を当ててほしい。
さらに問題を複雑にしているのが、貴乃花親方の存在。ほぼ無言を貫き、今に至っている。協会内部での問題解決でなく、警察に被害届を出し、捜査を委ねた。その結果、書類送検となり、示談がなされなければ、日馬富士には刑事罰が与えられる可能性が高そうだ。
僕は、心情的には、貴乃花親方の行動を理解しない訳ではない。相撲協会に問題解決を委ねれば、問題が矮小化されたり、ことによってはもみ消されることも危惧したのではないだろうか。元力士が集まる閉鎖的な組織だけに、その可能性がないとも言えない。
ただ、貴乃花親方の態度や立ち振る舞いは全くいただけない。無言を貫くにも、その理由の説明が一言二言あっていい。歩き方や椅子の座り方も、もう少し謙虚さがあっていい。いくら正しいことを主張しようとしても、あのような態度では多くの人は耳を傾けてくれないはず。
誰か助言・忠告するような人はいないのだろうか。それとも貴乃花親方が耳を傾けないのだろうか。側聞するところによれば、貴乃花親方は、相撲の原点を見つめ直しながらもっと開かれた相撲界を作りたいと思っているようだ。いいことを言っている。だからこそ、今の態度が残念。
僕は、小さなころから相撲が好きだった。相撲の世界に近かった父親の影響も大きい。父親と相撲観戦しながら、相撲はスポーツとは違うということを感じてきた。まず、姿格好が違う。ちょんまげを結い、まわし一本。知っているから変ではないが、現代社会と比較すると、異様とも言えなくない。
これは古来、相撲が神事の意味も担ってきたことに由来し、連綿と継続してきたことによる。いわば、日本の歴史と伝統を体現している。競技であるスポーツとは異なるのだと思う。だからこそ、神事としての相撲は江戸時代に娯楽的様子を加え、興行として発展してきた。
誤解を恐れずに披歴すれば、40年位前には、私の父親は「ごっつあん相撲」なる言葉をよく使っていた。八百長のことだ。片方がちょっと手を抜いたような相撲の取り組みを見た時に言っていたが、確かにそんな感じがあったように子ども心に覚えている。千秋楽、七勝七敗の力士同士の対戦はあまりなかったようにも記憶している。
ただ、父はそれに本気で憤っているというふうでもなかった。今と違って、大相撲にはそういうこともあると、多くの人が許容していたのではないか。力士の側も、程度をわきまえていたのではないか。これは想像でしかないが、そういったハンドルの遊びのような部分が大相撲にはあったような気がする。
それは、大相撲がオリンピック競技になるようなスポーツ種目でなく、日本独特の神事であり、そこから発展した興業が今の大相撲だからだと思う。この数十年、人々が大相撲を見る見方が少しずつ変化してきて、様々な問題を生じているように感じる。ハンドルの遊びが徐々になくなってきたと。
一部のテレビのコメンテーターが、もっと言えば横綱審議委員会の委員でさえも、一般社会との整合性や大相撲のスポーツ的側面を強調しがちで、大相撲の歴史や伝統に基づく特殊性や他のスポーツとは違う大相撲のありようを軽視しているようにも見える。
繰り返しになるが、いくら説諭であっても、暴力による解決は許されない。僕はそう思う。その上で、このような事件を受けて改めて、大相撲とは何か、今後大相撲はどのように存在していくべきなのか、真剣に考える時が来ているのではないだろうか。
僕は、日本の文化や伝統を守り、継承するという大相撲本来の存在意義を再認識すべきだと思う。競技スポーツとは違うということをはっきりさせるべきだと思う。その上で、人並み外れた体格の力士たちの力くらべ、興行としての大相撲を庶民が楽しめばいいのだと思う。
農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)
※ 今の社会や政治に対して思うことを書き、発信する活動「こさいたろうの視点・論点」を始めています。
※ 現在、数十人の皆様にご購読料(発行協力費)を頂いております関係から、公式サイトには原則冒頭部分のみ掲載させて頂きます。誠に恐縮に存じますが、何卒ご理解賜りますようお願い申し上げます。
※ ただし、時勢や内容等によっては全文公開する場合がありますこと、ご購読者の皆様にはご了解賜りたく存じます。
※ ご購読下さる方は、こさい宛てご連絡ください。月額500円(一口)をお願いしております。電子メールにて全文お送り致します。
※ 政治の現場を離れて4年、内容的に皆様にご納得頂けるものが書けるか、いささか不安ではありますが、これまでの自らの政治活動を思い返しながら、頑張ります。また、いずれ、ご購読者の皆様に見える形の双方向のやり取りができるようなオンラインサロンのようなものの立ち上げも考えています。