こさいたろうの視点・論点 0049
2018/05/09
「農地 雑感」
あの厳寒の冬はいつだったのか。私の住む山梨県最北西部の山里にもようやく、暖かい春がやってきました。寒さに耐え忍んでいた草木は、ここぞとばかりに一斉に芽吹き、鳥たちは心地よさそうに唄い始めています。まわりの田んぼの耕耘も進み、水も入り始め、標高の少し低い村では田植えも始まっています。
田んぼの風景は美しいものです。大都会の片隅で生まれ育ち、子どものころに田んぼをほとんど見たことのない私のような者でも、なぜか懐かしさを感じます。心を揺さぶられます。何代にもわたる日本人のDNAが作用しているのかもしれません。
ただ、田んぼの風景は自然にできているものではありません。人が作り上げている風景です。今でこそ圃場整備という公共事業、土木工事で整備されるのが常ですが、その昔は人力で田んぼが作り上げられていました。つまり、人がいなければ、誰かが受け継いでこなければ、今この時の田んぼの風景はありません。
都会の宅地や商業地では、頻繁に所有者が変わり、その時々の必要に応じて土地の利用方法が変化していくことが当たり前です。そしてそれは、それほど難しいことではありません。でも、農地はそう簡単にはいかないものだと、山里に移り考えさせられています。
就農人口の減少、高齢化や耕作放棄地も年々増え続ける中で、農村部の地方自治体では新規就農者がもてはやされます。それは、多額の税金投入に表れています。僕の周辺は、地域に根付こうとする真面目な仲間ばかりですが、果たしてすべてがそうなのか。実態はよくわかりません。
そして、私の知る限り、ほとんどの新規就農者は農地を借りて耕作していると思われます。つまり、農地を所有している人はごくわずかのように感じます。そのような形態で、昔からの農家のように、子孫の代にまでわたって地域に根差し、農地を守っていけるのでしょうか。そういう思いに至ってもらえるでしょうか。
一方で、私は、昔から続くいわば「地つき」の農家さんも知っています。これも私の知る限りですが、その多くの後継者さんは「勤め」に出ながら田畑をやっています。「やりたくないなぁ」という思いもありながら、受け継いでいくことは当たり前、というふうに思っている人もいるわけです。
田畑、特に田んぼは、私たちの故郷、日本という国の原風景だと思います。つまり、日本の伝統や文化、ひいては日本人そのものを体現しているといってもよいと思います。その意味で私は、私たち日本人が守り、受け継いでいくべき最も重要なもののひとつであると思っています。
先の戦争に敗北し、占領軍により農地解放という政策を進められ、地主・小作の仕組みは崩壊し、無数の地主が生まれることとなりました。その後、時代の急激な変化もあり、地主が先祖代々の土地を守り、耕作を受け継いでいくという生き方は当たり前ではなくなりました。
その結果、就農人口は急激に減り続け、耕作放棄地は急激に増え続けることとなり、今もその流れに歯止めはかかりません。一方で、農地は流動化しません。所有者が簡単に手放すことはしないからです。それとは別に、相続などを経て所有者が細分化されて所有実態がわからなくなってしまっている土地もあるようです。
ただ、農地の所有権が簡単にクルクル変わるようなことになってしまったら、農を基盤とした地域社会を維持することができるのか、何よりも良好な農業用地として維持することができるのか、私は維持することはかなり難しいと思わざるを得ません。
日本のこれからの農業、農を基盤とした地域社会、そして作物を生産するための農地はどのようにあるべきなのか、何を守って、何を革新すべきなのか。山里でまる4年働き、昨年からは暮らすようにもなった私ですが、全く答えを見つけることができません。能力の限界かとも思っています。
農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)
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