こさいたろうの視点・論点 0050
2018/05/24
首都高速道路網は、今のまま必要なのか
先日、「日本橋の高架撤去 江戸橋-神田橋間を地下化に」という新聞記事を目にした。日本橋を覆うように架かっている首都高速を地下に潜らせるプロジェクトをいよいよ前に進めるようだ。日本の道路の起点ともいえる日本橋と、その周辺の水辺の景観を取り戻すことに反対はない。
日本橋の高架撤去 江戸橋-神田橋間を地下化に(毎日新聞)https://mainichi.jp/articles/20180523/k00/00m/020/049000c#
日本橋上の首都高 神田橋-江戸橋JCT間地下化(東京新聞)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201805/CK2018052302000124.html
ただ、日本橋だけでいいのか。この議論が本格化した2001年当時、僕は東京にいたが、日本橋周辺の一部分だけ切り取って首都高速を地下化することには疑問を抱いていた。首都高速道路そのものの役割や必要性を再検証し、東京全体の都市像を見直すべきだと思っていた。
当時所属していた港区議会でもこの問題を取り上げたこともあるが、僕自身が政治の現場を離れ、東京も離れたため、自らの主張は脳裡の奥にしまい込まれていた。今回報道に接して、そのころの記憶がよみがえってきた。山梨の山里に住まうようになり、ますます必要性が気になっている。
たまに来るまで東京に行くが、首都高速道路、特に都心環状線の渋滞は目に見えて減っている。周辺の環状道路が整備されたこと、若者の車離れなどにより、交通量が減ってきているのだと思う。これからさらに人口減少社会に拍車がかかり、この傾向は続くであろう。
そんな中、巨額を投じて日本橋界隈だけの景観を取り戻せばそれでいいのだろうか。老朽化した首都高速というインフラを維持するだけでも莫大な金がかかる。それでも維持し続ける必要性があるのか、真剣に考えるべきではないだろうか。
景観を取り戻すというのであれば、それは日本橋に限らない。東京五輪前夜、車社会の到来と相俟って爆発的に増加する自動車交通をさばくために建設された首都高速。既存のお堀や運河などの公共用地を重層に使うことで用地を確保してきた。出来上がった高架道路に景観の概念はなかった。
皇居内堀、墨田川や神田川、明治神宮外苑など、高速道路によって景観は台無しになったといってよい。さらに言えば、一般道路の拡幅や新設を行い、その上に高速道路を架けたことで、いきなり大きな川が通るがごとく、それまでの「まち」が分断されてしまったところもたくさんある。
僕は、日本橋の景観が取り戻せてよかった、に終わらせてはいけないのだと思っている。首都高速、特に山手線の内側、都心部分の首都高速が本当に必要か、本気で考える好機にすべきだ。時代が大きく変化していることから目を背けるべきではない。
田舎に住んでいると、一つの橋が、一つのトンネルが非常に大切だ。無駄と思えるものも多いのでそれに精査は必要だが、なくては困る必要最小限の橋やトンネルも、老朽化が進む。日本橋の高架拘束を地下に通すことに何千億円もかけるなら、もっとやるべきことがあるだろうとも思う。
この文章を作るにあたって、日本橋の老舗和菓子店の6代目の方のインタビュー記事(日経電子版)を目にした。「日本橋に首都高いらない」というタイトル。大いに賛同する内容なので、ご紹介したい。以下、リンクアドレス http://bit.ly/2J2neUD
また、その昔、僕が書いたものもコンピューターの奥底に眠っていたので、こちらも改めて掲載したい。10年以上に書いたものだが、考えは今も全く変わっていない。むしろ、今こそ本格的に議論してもらいたいものだとつくづく思う。でも、日本橋界隈の地下化に矮小化され進んでいってしまうであろうことが残念でならない。
小斉太郎
〈 以下、昔に書いた文章となります 〉
首都高速道路をはずして空のみえるまちに
(小斉太郎:2007/03/01公開原稿)
首都高速道路(以下首都高速)は昭和30年代、急速に増大する自動車交通に対処するため、計画・建設された。
その際、昭和39年の東京五輪開催に間に合わせるために、既存の公共空間のストックを食い潰すこととなった。具体的には、河川や公園、皇居内堀など、都市に豊かさや潤い、品格を与えていた空間が、高架式高速道路で覆われることとなってしまったのである。加えて、既存の空間を使えない地域では強引な道路拡幅が行われ、その上部を高速道路としたため、既存のまちがそれによって分断されてしまった。
一方、首都高速は当初「都市内交通」の円滑化を目指した連続立体交差道路として建設された。しかし、東京中心市街地外周の環状道路が未整備だったことにより、「都市間高速道路」(東名道や東北道等)が首都高速に接続された。これにより、「都市内交通」の一環だった首都高速は新たに、「都市間高速道路」の一部としての役割を付与されることになり、膨大な通過車両がとめどなく流入する現在の姿となってしまった。
これらの経緯を踏まえた上で、今後の首都高速のあり方について、以下に私見を述べたい。
前述のように今や、「都市間高速道路」へのアクセスが首都高速の主たる任務となってしまっている。一日46万台の車両が首都高速都心環状線を通るが、そのうち60%が都心に目的地のない通過車両とされる。このことから考えれば、中央環状線、外郭環状線、圏央道という周辺部の三環状道路が完成すれば、現在の首都高速の役割の大部分が新環状道路に移行することとなる。つまり、現在のかたちの首都高速道路網を維持する必要性は極めて低くなるはずだ。
一方で、完成から40年以上経過した首都高速は経年的劣化等により、早晩再構築(大規模改修・更新)が必要となるのは明らかだ。一説には、都心部の首都高速の再構築には約5兆円の事業費が必要とされている。このような巨額投資をしてまで首都高速道路網を維持する必要は本当にあるのだろうか。三環状道路ができれば、都市計画に基づいた一般道路の拡幅、新設等を行うことで、都市内交通の円滑化を図ることは十分に可能なのではないだろうか。
また、冒頭述べたように、首都高速は公共ストックを食い潰し敷設され、それによって分断され、空のみえなくなったまちがたくさんある。首都高速をはずしても深刻な交通問題が発生しないとするならば今こそ、真に豊かな生活環境を実現するまちづくりへ舵を切るべきではないのか。
港区というエリアで考えても、古川上空に架かる首都高速がなければ、古川の親水化や河岸の緑化の機運は急速に高まり、東京を代表する散歩道となることだろう。六本木交差点上空の首都高速がなければ、空のみえる明るいまちに変貌し、環境悪化が進む六本木のまちの再生に資するだろう。溜池から谷町に架かる重層構造の高速道路がなくなれば、一般道路の再整備や緑化が促進され、東京を代表するブールバール・アベニューとなるだろう。そしてなにより、機械的に分断されてしまったまちを一体化する新たなまちづくりの契機にもなるはずだ。
もちろん港区だけでなく、首都高速がなくなることにより各地で同様の効果が期待できる。新たな公共空間の創出によって、豊かで潤いある生活環境を生み出すことは間違いない。
今、日本橋上空の高速道路を地下化する議論が活発だ。でも、日本橋だけが特別であっていいのだろうか。日本橋上空の高架式高速道路が景観的に劣悪で、河川という公共ストックの利用を阻害し、環境を悪化させている、というのであれば、それは都心部の首都高速道路沿線のほとんどにあてはまる議論なのである。私は、日本橋のプロジェクトが進行し局所的に巨額な投資が行われる前に、東京・首都圏の高速道路網について、全体の視点から改めて考えねばならないと思う。そして私は、首都高速の高架をはずし、その上で東京のまちづくりを考えるべきだと強く思うのである。
農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)
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