街宣車による名前の連呼

 

こさいたろうの視点・論点 0089

2019/04/09

 

 

街宣車による名前の連呼

 

 

統一地方選挙の前半戦が終わりました。大阪維新の圧勝は少々意外でしたが、大阪には大阪特有の事情があるのでしょう。野党の野合は全く通用しないこともはっきりしましたね。沖縄の成功は沖縄特有の事情によるもの。単に「アベは許せない」というスローガンは人々の心を動かす旗印にはなりえない、ということがはっきりしてしまいました。むしろ、各地で勃発した保守分裂の県知事選挙の中に、これからの日本政治の可能性が包含されてるのではないかと感じます。保守よ、どんどん分裂せよ、と思います。権力を維持するために一つにまとまっていることがいかに不健全なことかを考えてほしい。健全で清新な保守勢力の伸長こそ、求められているのではないだろうか、そんなふうに感じた今回の選挙結果でした。

     

 

さて、今住んでいる山里にも、県議選の候補者の街宣車がやってきました。昔は、街宣車に乗っている側だったので、家の中にいるとこんなふうに聞こえるのか、と新鮮な気持ちでした。ただ、何が聞こえるわけじゃないんですよね。かろうじて候補者の名前が聞こえるかどうか、それと、頑張ってますとかよろしくお願いしますという定型フレーズも耳には入りますが、まあそれだけ。

 

かつての自分を棚に上げて、あえて申し上げれば、選挙における街宣車からの候補者名の連呼は本当に必要なのか、はっきり言って不要ではないのか、と世に問いたい気持ちになりました。

 

たしかに、支援者向けへのアピール効果、風が吹いている選挙の場合はさらなる支援拡大効果、選挙ムードを高める効果など、一定の役割があることは否定しません。僕自身も25歳の時、自分は自転車に乗りながら、並走する街宣車から名前を連呼してもらい、当選させて頂いた過去を持ちます。効果は絶大でした。

 

でも、それも四半世紀前のこと。名前の連呼を聞かされても、何の判断材料にもなりません。立候補している方々の素性を、考え方を、人となりを、少しでも多く知り、投票できるようにすべきではないでしょうか。

 

その昔の選挙では、拡声器で演説会の告知をし、それにより人々が集まり、候補者の政見に触れるということがありました。私もそんな選挙を戦ってきた最後の世代かもしれません。でも、そのようなことはすでに過去のものとなってはいないでしょうか。今の時代、もっと他の方法がたくさん考えられるはず。選挙だけが前時代的でいいはずがありません。

 

さらには、街宣車による候補者名の連呼をやめることにとどまりません。諸外国の実情もよく研究し、公職選挙法を抜本的に見直す時期にあるのではないでしょうか。いや、むしろ、遅きに失していると厳しき指摘せざるを得ません。

 

政治の多様性を奪い、地域の分断を生む小選挙区制度の廃止とあわせて、公職選挙法の抜本改革、つまり、日本の選挙のあり方を根底から変える取り組みが必要と問題提起したいのです。そして、それは、既存の制度で権力を得ている与党、与党のみならず野党も含めた現職議員やその所属政党には、ほぼ不可能な改革であることも厳しく指摘しておきたいと思います。

 

ではだれがやれるのか。深い問題意識を有した普通の人だと僕は思っています。

 

 

農夫 こさいたろう(小斉太郎;元 港区議会議員)

 

 

 

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